めんおうブログ

国家公務員からラーメン業界への転職を決意した、30代男性(妻、子2)の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

東大理Ⅲに入った同級生から学んだとても大切なこと

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今日は、子供と一緒に、親子連れがたくさん集まるちょっとしたイベントに行ってきました。そんな中で、とにかく子供をののしるような叱り方をする親がおり、こんな叱り方しなくていいのになぁ、と思いながらそれを見ていました。子供に体験させて考えさせるのがよく、子供への強制を必要最小限にした方がいいと思うけどなぁ、と。

 

ふと、自分がどうしてそういう風にすべき、と思っているんだろう、ということを考え始め、わたしの同級生(A君)のことに思い至ったんです。

 

A君は東京大学理科Ⅲ類(医学部のようなことをします)に入学しました(わたしが東大に入ったわけではない)。彼とわたしとは、小、中学、高校と同じ学校、同じ部活でキャプテンと副キャプテンをするくらい仲が良く、勉強に、遊びに、部活に一緒に過ごしてきました。

 

わたしの、親としての信念は、実はA君に受けた影響が大きいのではないか、というふうに思うところがあり、紹介させていただきます。

 

この記事では、A君について紹介した後、わたしが彼を見て学んだことについてまとめたいと思います。

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東大理Ⅲに入ったわたしの同級生(A君)

①A君とわたしの小学生の時代の思い出

A君は、小学生の時から本当に努力家で成績優秀でした。わたしとA君は、小学生の時はクラスも部活も違って、〇〇クラスにすげーやつ(A君)がいるらしい、ってくらいの認識しかありませんでした。

勉強の成績は常に学年トップ。だって、小学生の時から高校の物理、数学と英語をやっているんですから。特にA君とは面識はありませんでしたが、何かの機会に彼が勉強しているところを見たことがあり、xとかyとかよくわからんのが出てる・・・という印象があったのを覚えています。

わたしは、教科書で勉強していましたし、小学生のときには塾にも行っておらず、最低限の宿題のみをしぶしぶやっていた普通の小学生でした。だから、当時のわたしにとって、A君は、どこか遠いところにいる存在だったわけです。

そんな中、A君を少し特別な存在として意識するイベントがありました。

運動会のリレーです。

わたしはクラスで足が一番速く、クラスのリレーメンバーのアンカーでした。一方、A君もクラスで足が一番速く、リレーのアンカーになったんです。

そうです、学年で一番足が速いのが、わたしとM君だったんです。

そんなわたしとA君は、リレーで対決することになりました。さすがに物理や数学では高校生レベルのことができても、走る速さはそう変わりません。わたしは、A君が50m走で自分と全く同じタイムを出していることを知って、ひそかに闘志を燃やしていました。

運動会の大取種目、6年生のリレーが始まり、わたしのクラスとA君のクラスが接戦を争っていました。スタートからずっと、僅差ではありましたが、わたしのクラスがリードしていました。当時のリレーは男女混合で、それぞれ4人ず足の速い男女が選ばれてチームを組んで走ることになっていました。男女混合でしたし、実力も近かったので、差を縮めたり、広げたり、抜いたり、追いついたりと本当に目の離せないリレーだったのを覚えています。わたしはチームのアンカーとして少しでもリードしてバトンを渡してもらうよう、大声を張り上げてチームを応援していました。

しかし、わたしの前の走者が相手チームにリードを許してしまいました。距離にして20m程度でした。一人200m弱走る競技だったので微妙なリードですね。やってやれないことはない。でも、抜くのは簡単ではない。

わたしにバトンが渡り、ここから先は、アドレナリンが出すぎたのか、よく覚えていませんが、最後の最後でA君を抜くことができました。クラスも、先生も、わたしも、親も、その他の保護者も勝利したわたしの関係者は大喜びだったことだけは、よく覚えています。一方、A君を始め、敗れたチームはとても悔しそうにしていました。

この出来事をきっかけに、わたしとA君はそれぞれを前よりも意識するようになりました。

 

②A君とわたしの中学時代の思い出

小学生のころは、運動会で互いに意識し合うようにはなりましたが、話したこともなく、顔と名前が一致する程度の仲でした。

中学に入ると、そんなわたしとA君は、何の縁か同じ陸上部で活動することになりました。わたしたちは、小学校では学年で1、2を争う運動神経でしたが、中学でも1、2の運動神経で、陸上部でもA君がキャプテン、わたしが副キャプテンでした。

A君は小学校に引き続き、勉強では常に断トツで学年トップでした。そんなA君にわたしも次第に勉強面で影響を受けるようになっていきました。試験、成績の学年順は徐々に上がり、中学2年から塾にも通うようになりました。

中3のころには、A君はもちろんですが、わたしも県内トップの高校を狙うようになっていました。

小学生の頃は、互いの顔と名前が一致するくらいの関係だったわたしたちは、中学校では、勉強、部活、遊びに常に一緒にいる、親友といってもいいくらい親しい関係になっていました。

ただ、A君の性格はかなりきついなぁ、と思っていました。やっぱり、他の人の言うことに聞く耳を持たないんですよね。反論(意見の相違くらいの話)されるのが嫌いだし、その反論に対して論理的な説明をとことんまで求めるんですよね。説明したところで賢いA君が納得するはずもなく、こちらが引き下がるしかない、といったことばかりでした。一番仲のよかったわたしだって、ある意味、認めてはもらってなかったんだと思いますし、わたしも、なんか付き合いづらいなぁ、と思っていました。中学時代は、そんな3年間でした。

 

③A君とわたしの高校時代の思い出

中学時代にA君の影響を受けて勉強し始め、トップ校を狙うようになった、とは言っても彼には到底かないませんでした。断トツのトップとちょっと勉強が得意な生徒、というような感じだったんです。

結局、頑張った甲斐あって、わたしもA君も志望校に合格することができました(A君にとっては当然のことかも)。

わたしの高校の時の思い出は、勉強6、部活2、彼女2というような感じで、かなり勉強を頑張っていた記憶があります(成果は出なかったけど)。でも、わたしがいくら勉強を頑張ったところでA君には追い付くことはおろか、その背中すら見えないような成績でした。A君とはほとんど話すこともなくなり、またどこか遠い存在になっていました。クラスも違うし、A君は部活にも入らずずっと勉強ばかり、という生活をしていました。

正直、高校の時のA君との思い出はほとんどありません。また小学生の時のように、〇〇クラスのA君がすごいらしい、というくらいの関係になっていました。今考えれば、もしかしたら、A君にとってわたしは、仲のいい友達、ライバルというようなものではなくて、「一緒にいる人」というような存在にすぎなかったのかもしれませんね。

高校の時は、試験や統一模試の順位が明らかなるシステムでした。やっぱりA君はいつも学年1番か2番か、という成績をキープしていました。その成績をキープするためのA君の勉強量は目を見張るものがあって、平日でも一日8時間は勉強している、ということでした。学校が終わって、家に着くのが17:00だとしたら、ほんとに風呂と食事以外ずっと勉強、という毎日だったんでしょう。

ただ、なぜそこまでA君が勉強に執着しているのかは、わたしにはわかりませんでした。彼が東大理Ⅲを目指していて、親が医者だということは知っていましたが、医者を目指している、という話を聞いたことはありませんでしたし、聞いてはいけないことのような気がしていたんです。

でも、それは、なにもA君だけでなく、わたしもそうでした。たくさん勉強して、わからなかった問題をわかるようにすること、そしていい成績を取り、成績に見合う大学に行く、というのがわたしの勉強への姿勢でした。A君も、将来やりたいことの前に、東大理Ⅲ合格という目標が第一にあったんだと思います。

どのくらい勉強する、どのように勉強するか、というのは、本来、将来やりたいことがあって、それに近づくための大学を選び、その大学に入るための受験勉強をする、というふうに考えるべきだと思いますが、わたしも彼も、大学の先にあるものを考えるほどの想像力を持ち合わせていませんでした。

 

自分の頭で考えることを放棄していたんです。

 

このことには、わたしは何となく気づいていましたが、考えてもわからないことは考えない、と、ろくに考えもせずにとにかく勉強したわけです。

中学卒業後、ほとんど話さなくなったA君とわたしでしたが、二人の心の底に流れている感覚的なものは、似たようなところがあったんだと思います。

 

④A君とわたしの高校卒業後の思い出

高校卒業後、わたしはいくつか受けた中の一つの大学に入学し、A君は東大理Ⅲのみを受けて浪人することになりました。

A君とわたしは、高校のころからほとんど話さなくなり、高校卒業後は顔を見ることもなくなりました。FaceBookで近況を見たり、うわさが一部の知人の中で出回ったりするだけでした。

わたしは、大学中も大学卒業後も、特にこれといって人生を通してやりたいこと、というものはありませんでした。ただ、わたしの固定観念で、世間的に認められている職業についていないことは悪、と思っていたので、本当にやりたいことがわからないまま(ろくに考えてもいない)、〇〇省の幹部職員として入省することになりました。

一方、A君は、東大理Ⅲに1年間の浪人生活の後合格して、ようやく希望が叶いました。ただ、そのあとのA君は、周りの人間がまったく想像もしない人生を歩むことになりました。

東大までは、どの学校でも断トツ1番だったA君は、初めて挫折を味わったんだと思います。二学年への進級時、単位が足りずに浪人、これを2回しました。そして3回目の進級のチャンスの時も、結局単位が足りずに理Ⅲでの進級を断念し、文学部へ変更して進級したそうです。その後、かなり生きること自体に苦労したようで、休学もはさんで、卒業まで何年かけたのかわかりませんし、聞くこともできません。

少し前にうわさでA君が何とか卒業してからも、働くことができないまま何年か悩んだこと、塾の講師として最近働き始めたことなどを聞きましたが、今では、FaceBookでの近況や彼に関するうわさも聞かなくなりました。

A君は入試勉強して志望校に合格することの先に何を見ていたんでしょう。それは、今でもわたしにはわかりません。

わたしも、A君も自分の頭で考えることをつい最近まで放棄し続けていたようです。

わたしがA君から学んだこと

わたしは、A君を見て、親としての在り方はこうだ、という信念を持つことができているような気がします。

わたしは、親として

 

子どもが、自分の意思で人生を歩んでいくための手伝いをする存在

 

であるのがよいと思っています。

どんなに優秀でもA君のような人生を歩まない子を育てる、というふうに心のどこかで思っているような気がします。

このように言っているわたし自身、この1年間で転職を経験して大きく成長できたと思っていますし、自分の人生を自分の足で歩み始めた気がして、新鮮な気分で充実した毎日を過ごすことができています。

A君もわたしも小、中、高と長い時間を共に過ごし、知らないうちに似た者同士になっていたような気がします。二人とも与えられた枠組みの中でトップクラスの成績を出すことは、得意ですが、自分の頭で考えることが苦手だったんです。

だからA君は社会人になれない大人になり、わたしだってようやく自分の足で人生を歩み始めたところです。

東大理Ⅲ合格、東大卒業、〇〇省幹部、なんて聞こえはいいですよね。でも、それは、飾り付けがきれいな箱であって中身が空っぽじゃ、なんの価値もないんです。子供のクリスマスプレゼントにだってなりません。

今の二人の状況は、大きく違うものになっていますが、それは結果であって、実は紙一重の近い道を歩んでいたのではないでしょうか。

だから、わたしは、自分の子供にはA君や最近までの自分のようになってほしくない、と心のどこかで思っているんだと思います。いえ、そう思って、子供に枠組みを与える親ではなく、子供自身が枠組みを作っていけるような柔軟で芯の強い思考力をつけさせてあげられるようにありたい、と考えているんです。

 

人生において大切なことは、自分の頭で考えること、そして自分の意志で決めて行動していくことです。

 

このためには、小さくてもいいので、成功体験を積ませてあげる必要があります。それも、自分の頭で考えさせるところから。わたしもA君も成功体験はありましたが、すべては、だれかが用意してくれた枠組みの中だけのものでした。一歩その外に出るともう自信がなくて動けなくなるんです。だからA君は定職につきたくてもつけず、わたしは自分のやりたいことが何なのかを見つけられずに公務員を10年間も続けました。

もちろん定職についていることだけを良しとしているわけではありません。問題は、自分の頭で考え、決め、行動できないことです。

人生いろいろですから、そういう人生もまたその人の人生。間違いだ、とその人たちに言うつもりも、言う権利もありませんが、わたしは子供の親として、自分の人生を自分の足で歩んでいける人に育てていきたいと思っています。

 

もう次の年が、すぐそばまでやってきています。ここまで書いてきたわたしの気持ちは、新しい年になっても、変わることはないでしょうが、子供が大きくなるに連れて子供に対する接し方は変わると思います。

わたしが考えていることを子供にしっかりと伝えられるかどうか、は親であるわたしや妻の腕にかかっています。自分の仕事のことだけで精一杯にならず、妻と協力して自分の頭で考え、自分の意志で決めて行動できる人を育てていきたいと思っています。

 

わたしは、A君からこんなにも多く、大切なことを学びました。

 

ではまた!