めんおうブログ

国家公務員からラーメン業界への転職を決意した、30代男性(妻、子2)の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

転職後3日目、幸せのかけらは、身の周りにいくらでもある。

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めんおうは、転職の影響で神経過敏になっているのではないか、という風に思われるような記事が多いかもしれませんが、これまでの生活と今の生活との間で変化が大きいので、発見することが多いんです。

 

もしかしたら、こういう状態を神経過敏、と呼ぶのかもしれませんが、わたしは決して気弱になっているわけではないので、ご安心ください。

 

これまで当たり前だったことすら、妙に新鮮に感じるんです。

 

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本日の業務内容

0730起床

1045~1145出勤

1200~1715皿洗い、ホール

1715~1745就職後面接

1745~1815休憩

1815~2300皿洗い、ホール

2315~0030帰宅

0300就寝

 

感じたこと

業務の流れはだいたいつかめてきた。店舗の中での仕事は、いかに早く、おいしいラーメンをお客様に提供できるか、ということなので、単調であるに決まっている。その単調さの中に実は奥深さがある。

 

早く、おいしいラーメンの提供、と書いたが、実はそれだけでは不十分だ。また来たい、とお客様に思わせてこそ、店舗の勝利なわけで、これを達成できるように従業員全員で店を回さなければならない。ここにこそ、単調さの中の奥深さがある。ここの部分については、また記事を改めて考えをまとめたい。

 

 

 

 

 

さて、今日感じたこと、というのは、仕事とはあまり関係ないことかもしれない。それは昼食の弁当を食べていたときに感じたことである。

 

 

 

 

 

今日は、1200出勤であったので、妻が弁当を持たせてくれた。わたしは、前職では食堂で昼食を取っていたので、手作りの弁当を食べることは、めったになかった。

 

職場の最寄り駅を降りてから、職場まで徒歩で移動する間に食べることにした。

 

 

 

 

 

歩きながら、背負っていたバックパックを前に担ぎ、弁当を探す。あまり時間がなく、歩きながらの手探りであったが、壊れないように一番上に入れていたので、すぐに探し当てることができた。ナフキンを手でつかむと、おにぎりであることがすぐにわかったのだ。

 

あの独特の重みと丸み、作って時間が経っていないであろう温かさ、米粒が感じられるでこぼこ感など。どなたにも経験があろうと思うが、弁当には、ぬくもりがある。作った人の思いが伝わるような気がする。おにぎりに限らず、弁当箱を見た瞬間、箱を開けた瞬間、そして食べている時、ずっと、作った人のぬくもりを感じることができる。それがおにぎりであれば、なおさらだ。

 

わたしは、おにぎりの入ったナフキンを歩きながら広げた。3つのおにぎりがあることを確認して、一つ取り出した。ラップにくるまれ、中には全体がのりで包まれている手のひらサイズのおにぎりが入っていた。のりは、幾分水分を吸収していてパリッとはしていなかったが、それが一層、人のぬくもりを感じさせる。

 

ラップをはがし、一口頬張る。30代男性にとっては、小さめのおにぎりだったので、一口で丸ごと食べることもできたと思うが、一気に食べてしまうのがもったいなくて、できなかった。一口頬張ると、まず、のりについた塩の程よい塩気と、のりから感じられる磯の香りを感じた。少し噛んでいると、ご飯の甘みとおにぎりの具であるサケの塩気と香ばしさがした。

 

わたしが一番好きな具材のおにぎりであった。何の変哲もないおにぎりであったが、今日のおにぎりは、これまで食べたおにぎりの中で、一番おいしく感じた。

 

 

 

 

 

わたしがおなかをすかせないようにおにぎりを作ってくれたこと

 

わたしの好きなサケおにぎりを作ってくれたこと

 

食べやすい大きさにしてくれたこと

 

食べるときに温かい状態で食べられるように作る時間を調整してくれたこと

 

崩れず、かつ、食べやすい固さにで握ってくれたこと

 

おにぎりがばらけないように、ナフキンでくるんでくれたこと

 

・・・

 

 

 

 

 

「3つのおにぎり」という、ただそれだけのことには、上に書いたような思いやりがつまっている、ということに気づいたからだろう。なぜ、気づいたのか、というのは定かではないが、おそらく、そもそも妻に弁当を作ってもらう機会がこれまでほとんどなかったことや、慣れない職場へ向かうところであったために普段考えないことに思考が及んだ、ということだと思う。

 

 

 

 

 

この3つのおにぎりを、歩きながら食べ終わるのに15分とかからなかったと思う。

 

歩きながらのたった15分間の昼食、ということではあったが、わたしはその間ずっと妻の思いやりに包まれていたわけだし、幸せだなぁ、と感じた記憶はずっと忘れない。

 

 

 

 

 

ここでは妻が作ってくれたおにぎり、ということしか触れていないが、きっと日常生活のあらゆるところ、わたしたちの目の前にこういう思いやりはたくさんあるんだ、ということを知った。

 

そう、知ったんだ。知る、というのはとても大切なことだと思う。忘れることがないからだ。感じたこと、というのは忘れるが、知ったこと、というのは忘れない。これからずっと、目の前の思いやりを感じて幸せになっていくことができるのだ。

 

 

 

 

幸せのかけらは、 身の周りにいくらでもあるようだ。そのかけらを集めていく作業、これが、幸せな人生を歩むために必要なことなのかもしれない。