めんおうブログ

国家公務員からラーメン業界への転職を決意した、30代男性(妻、子2)の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

昨日、また別の同期が来た。この店は出会いや別れの場所。これは第二の人生との出会いである。(転職後25日目)

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昨日、また別の同期が来店したので、感じたことについて記録したいと思います。

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本日の業務内容

【1月25日】

0800起床

1330出勤予定

 

感じたこと

省時代の同期が店に来たことは、過去の記事に書いたとおりであるが、昨日もまた来た。これまで来た同期とは違う同期(M君)だが、すでに来た同期から聞いたのだろう。もう、わたしを名物として、というようりもラーメンをこの店で食べたいときに来る、という感覚になってくれてきているようで、とてもうれしく、ありがたい。

 

わたしも特に気にすることなく、自然体で「友人がお客様としていらっしゃった」として接することができている。他のお客様とは差別することなく、ただ、少しだけサービスよく、というような感じでだ。

 

 

 

わたしがホールをしていたので、対応はすべてわたしが担当した。席に案内して、ありがとうございます、と伝えると、びっくりする告白があった。Mも退職して、別の仕事をする、というのである。Mもわたしの仲のいい同期の一人であり、わたしの転職時の引っ越しを手伝ってくれた三人のうちの仲間である。Mにわたしの転職の話をしたとき(退職前)、「いいんじゃない?やりたいことやれるのはいいと思うよ」と、あっさりだったので、ちょっと違和感を感じたこともあった。国家公務員の退職は2~3カ月くらいの時間がかかるので、その時から内々に話を進めていたんだろうと思う。

 

 

 

Mは、注文したラーメンが来るなり食べ始めて「うまいよ、これ!追い飯(追加でライスを注文すること)するから!」と言ってくれた。わたしも「Mさんからうまいよ!いただきましたぁ!」とコールをした。このようなやりとりができることを、Mをはじめとしたこれまでお世話になった同期やお店の仲間に感謝したい。

 

Mは15分くらいでラーメンとライスを食べ終わると、「ホントにうまかった、ありがとう。また飲もう!」と言って帰っていった。わたしも仕事の話、家庭の話、前職の話など、話したいことはたくさんある。前に来てくれてたIも含めて楽しく話ができたらいいな、と思う。これが同期であり、友人である。学びを、感動を、時には悔しさなど、いろいろな経験をさせてくれる。このような関係を通じてお互いを成長させていく。

 

 

 

 

 

さて、Mの退職の話を聞いて、また、これまで来てくれた同期、わたしが入社してからお世話になっている店の仲間のことなどを思うと、この店は、いろいろな出会いや別れの場所だな、と感じる。

 

わたしは転職して店に入り、とてもよく教えてもらっているし、楽しく仕事をさせてもらっている。最初にわたしの同期が来たときは悔しさと恥ずかしさが混じった複雑な気持ちになった。その一週間後、仲の良かった同期と後輩が来て、うれしく思った。そして昨日、また別の同期が一人で来て、退職について告白してくれた。また、この間、企業内の覆面調査が来たり、わたしの中途採用面接を担当してくれた上司がわたしの勤務状況の確認に来たりもした。

 

お店が、このように新たな出会いと別れの場になっている。このような出会いと別れは、わたしの第二の人生との出会いである。その人生の入り口、それが今のお店であり、まだ勤め始めて一カ月経っていないが第二の家のようになっている。勤める場所が心の居場所になっている。出勤すれば、朝だろうと夜だろうと「おはようございます!本日も一日よろしくお願いします!」という挨拶と「よろしくお願いします!」という返しで始まる。そして、自然と笑顔がこぼれる。勤務中、疲れることもあるし、おなかすいた、早くシフトが終われば・・・と思うこともあるが、一日の終わりには「本日も一日ありがとうございました!」という挨拶と「ありがとうございました!お疲れさん!」という返しで終わる。そして、家族のもとへ帰る。

 

 

 

 

 

この毎日の積み重ねが、長い人生になるのである。将来歩む人生はまだまだ長いが、いずれ、歩んできた人生の方が長くなり、残された人生が短くなるだろう。過去を振り返れば、足跡として過ごした日々の記憶が残る。その足跡が人生を歩む自分を作るのである。また、逆に、成長した自分が大きな足跡を残せるようになるのである。そして、その足跡は消えることなく残される。

 

一日一日、周りの人、時間、自分を大切にして歩んでいきたい。時には自分の残した足跡を振り返りつつ、前を見て、ある時は駆け足で、またある時はゆっくり確実に歩むのである。