めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

ラーメン店従業員が思う、ラーメン店に行ったら、是非みなさんにしてみてほしいこと。

スポンサーリンク

前書き

わたしは、1月にラーメン店に転職してから毎日タダでまかない(ラーメン)を食べるようになった。それまでは、わたしも妻もラーメン好きだということもあって、おいしいと評判のラーメン店をネットで検索しては食べに行ったものだった。しかし、健康のためにも、また、タダで食べられるものをお金を払って外に食べに行くのがもったいないような気がして、家族でラーメンを食べには行かなくなってしまった。そんな中、つい先日、わたし一人で日中に自由行動する許可を妻から得ることができたので、久しぶりに昼食にラーメンを食べに行くことにした。

 

考えてみれば、転職してから1か月以上経ち、店員としての動きがわかるようになってきてから、客としてラーメンを食べに行くのは初めてであった。先日行ったラーメン店は自宅からすぐ近くの店で、ラーメン好きの知人が「この店おすすめ」と言っていた店である。実際、味はかなり微妙であったが、別のところに新しい発見があったので行ってよかった。その発見こそ、この記事の表題になっている、「ラーメン店従業員が思う、ラーメン店に行ったら、是非みなさんにしてみてほしいこと」である。以下、詳しく記録しておきたい。ラーメン店に行く楽しみが一つ増えると思う。

f:id:mennou:20180221081628j:plain

ラーメン店従業員が思う、ラーメン店に行ったら是非してもらいたいこと

客としてラーメン店に行ったら、何をするだろうか。店に入るところから過去の記憶をたどっていただきたい。

 

 

 

以下は、わたしが先日行ったラーメン店での流れである。

 

 

 

 自動ドアが開いて入店する→席に着く(目の前にキッチンがある)→お冷を提供される→注文する→スマホを見る→きょろきょろする→店員の様子を見る→ラーメンを提供される→食べる→お冷を一気に飲む→お金を払う→席を立つ→自動ドアが開いて退店する

 

 

 

以上である。

 

 

 

この流れのどこかに、みなさんがしていないことで、わたしがしていることはないだろうか?

 

 

 

 

 

ヒント

「きょろきょろする」ではない。

 

 

 

 

 

みなさんがしていないことで、わたしがしていることは、以下の黄色を付けたところではないだろうか。

 

自動ドアが開いて入店する→席に着く(目の前にキッチンがある)→お冷を提供される→注文する→スマホを見る→きょろきょろする→店員の様子を見る→ラーメンを提供される→食べる→お冷を一気に飲む→お金を払う→席を立つ→自動ドアが開いて退店する

 

 

 

まさにこれこそ、「ラーメン店従業員が思う、ラーメン店に行ったら、是非みなさんにしてみてほしいこと」なのである。

 

なんだよ、おいしくラーメンが食べられる、とかそういうことじゃないのかよ、と思われた方、申し訳ない。しかし、これは、おいしくラーメンを食べるのと同じくらいの価値があると思う。それならおれもやっているよ、という方もいるかもしれない。ただ、わたしが思う「見所」がある。店員の様子、と言っても、特にその「手つき」を見ていただきたいのである。これは、ラーメン店に行った時ならではの楽しみの一つとして、間違いなく価値があると思う。

 

わたしが働いているとき、ほとんどのお客様は注文した後、スマホをいじっているか、一緒に来られた方と話されている。お客様にラーメン店での経験(食べることはもちろんだが、それ以外も含んで)を通して、しあわせになてもらうことがラーメン店の存在意義であるので、注文後にお客様が何をされようと、わたしの出る幕はないし、お客様に楽しんでいただけさえすればいいとは思う。ただ、個人的な気持ちとしては、「ラーメン店に来てしかできないこと」をほんの少しの時間でもいいので、楽しんでいただきたいなぁ、というのが本音である。ちょっとスマホを置いて、少し会話を中断して厨房を覗いて店員の手つきを見てもらうだけでいい。オーケストラに行って、ずっと目をつぶって音楽だけ聴く人はいないだろう。きっと、楽団が演奏する様子を見て、目でも楽しむはずである。プロが演奏する様子は、それ自体が洗練されていて芸術的だからだ。経験を積んだラーメン店員の手つきは、これと同じでそれ自体に芸術的な面白味がある、とわたしは言いたいのである(こう思うようになったのはつい最近ですけどね)。

 

 

 

先日行ったラーメン店で、わたしは注文したラーメンが提供されるまで、何気なく店員の様子を見ていた。わたしが店に訪問した昼時、働いていた店員は二人であった。一人は店長、もう一人は勤め始めて間もないバイト(だと思われる子)。わたしは入社してから1か月半くらいであるが、そのバイトは、わたしよりも動きがぎこちないように思えた。バイトの子は、男子大学生、といった年齢だろうが、まだ何をしていいかわかっていないようで、玉ねぎは、このボールに移しちゃっていいですか?洗い物は全部やっちゃっていいですか?煮卵はここでいいですか?次は何をしましょうか?と確認しながら動いていた。そのすべてに「迷い」が感じられた。

 

例えば、ラーメンの盛り付け。右利きの人が左手でボールを投げるように、どの角度でスープにのりを差し込んだらきれいに立つか、チャーシューをあぶるときのバーナーのかけ方などの手先の動きについて思い出しながら、また、うまくいく方法を確かめながらしている、という感じであった。一方、店長はさすがで、すべての手つきが洗練されていた。洗練されている、とは、「ムダがない」ということである。手がすべての作業で「迷い」なく最短時間、最短距離で勝手に動く。プログラムを組んで勝手に計算してくれるソフトのように。背脂やタレをレードルですくって器に移す動き、麺を鍋から出してどんぶりに落とす動き、のりの入れ物を棚に乗せる動きまで。すべての手つきにムダがなかった。ラーメン店の仕事の8割はルーティーンである。きっとそのルーティーンを繰り返すうちにムダが削られていったのだろう。「手つき」にラーメンとともに生きた生き様を感じ、「ラーメンを作る姿」自体にすら美しさを感じたのである。

 

今度ラーメン店に行く機会があれば、是非、経験を積んで、その手つきが洗練された店員を探していただきたい。そして、ラーメン店を目でも楽しんでいただきたいのである。わたしも駆け出しのラーメン店員として、味はもちろんであるが、ラーメンを作る姿自体にも感動を覚えてもらえるようになりたいと思う。その手つきに生き様が表れるのだから。