めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

わたしは、日記を書きたい。そして、読みたい。

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わたしがブログを始めてから、3カ月が経とうとしている。転職に関するノウハウ的なものなどを書いたこともあったが、それ以外は主に日記を書いてきた。

 

当初は、ブログにおける日記の価値、についてよくわからなかった。価値があるのか、ないのか、もしあるとしたらどういった価値があるのか。むしろ、素人の日記を読むなら、プロ作家の小説でも、と思っていたところすらあったような気もする。わたし自身、何かの分野の専門知識や体験談がまとめられている記事にしか価値を感じておらず、ほとんどそういった類しか読んだことがなかったからである。

 

もちろん、日記をブログで書く価値は感じていた。わたしは、大学卒業後から、手書きで日記を書いてきたが、時間の都合で書ききれなかったことが多くあったのである。だから、キーボードで打てて、あったことや考えたことを早く、たくさん記録できる便利さにブログ日記の価値を感じていた。あくまで、自分が日記を書きやすい、という部分でしか価値を感じていなかったのである。

 

 

 

これが最近では、大きく変わってきた。

 

 

 

最近、わたしの日記に対するブクマコメントや記事下コメントをいただくようになり、ブログ日記を書くのは、日頃考えたこと、感じたことを深堀りしたり、別の考え方等を知ることができる価値がある、ということに気づいたのである。本当にありがたいことに、めんおうブログは、700名弱もの読者さんを抱えるようにもなり、ブログ日記は日記の書きやすさだけでなく、意見の投げ合いや討論の場、という要素も持つようになってきた。また、読まれることを前提とすることで、伝えたいことが伝わりやすい文章を書こうという意識を持つこともできている。これは、文章力の向上につながるだろう。

 

 

 

また、人の日記を読むようになって気づいたこともある。

 

 

 

ブログ日記は、その書き手の息遣いと体温を感じる、ということである。それがなんとも楽しく、心地いいのである。日記の書き手の多くは、どこにでもいる一般人であろう。自分と同じような境遇で、同じような気持ちをもって生活している人が日々感じたことを書く日記。同じようなものを、別の同じような人が経験したときの考え方、感じ方を知ることができる。かけ離れた存在でなく、ごく一般の人が書くものだからこそ、その記事を読んで得た、新たな考え方や感じ方を自分に取り入れやすい。だから、人のブログ日記を読みたいと思うし、自分も体温を感じられるような日記を書きたいとも思う。

 

プロ作家の書いた小説も、作者の息遣いは感じられるが、体温まで感じられる作品は稀だ。書き手がプロ作家であること、境遇があまりにも違うことが、読み手と書き手の間に見えない壁を作っているのだろう。ノンフィクション作品であったとしても、わたしは、見えない壁を感じる。その作品から学ぼう、という気持ちはあっても、意見しよう、という気持ちまでにはならない。本を購入することでその作者を応援することはできるが、感想を伝えたり、読み手としての考えを表明することもできない。ここにブログ日記を読むのとは大きな違いがあるのだ(小説のすばらしさは、ここでは割愛)。

 

 

 

ブログを始めて3カ月。ブログ日記は、わたしにとって、なくてはならない存在になっている。自分の中での考えの深堀りと新たな発見が止まらない。ブログが人生を変えるかもしれない、そんな予感すらしている。だからわたしは、日記を書きたい。そして、読みたい。