めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

外出先での口げんかの後の妻の言葉に、自分の小ささがいやになった。

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めんおう家では、月に一度は電車が大好きな長男のお気に召すよう、「電車の旅」と称して家族で少し遠くに出かけるようにしている。店長になったら、家族との時間が取れないくらい忙しくなるだろうから、今のうちになるべく家族で一緒にいられる時間を作ろう、ということである。わたしと妻とでこのように決めた。

 

わたしと妻は、楽しい記憶に残すはずの日に限って、口げんかをしてしまうことが多い。けんかするたびに嫌な気持ちになり、反省するが、しばらくするとその反省も忘れてしまうのだろうか。先日も、家族で遊びに出た(電車の旅)が、予感していた通り口げんかをしてしまった。

 

 

 

その日は、気持ちのいい晴れだった。午前中に家を出て、電車に乗り、一時間かけて都心へ行った。買い物や昼食を楽しむ予定だった。家の外は、2月にしては暖かな空気、明るい太陽と雲一つない空が、久しぶりの家族そろっての外出を迎えてくれているようだった。

 

気持ちいい陽気を感じつつ電車の旅が始まった。目標の駅につくと、買い物のために近くのデパートに入った。予想外の人の多さに、用事を済ますのにとても時間がかかってしまった。早めに家を出発したが、昼どきの時間を過ぎようとしていた。用事に時間がかかる、子どもが歩くのをいやがってぐずり始める、妻のほんの小さな言葉の使い方が気になり始める。。。

 

外出日和ではあっても、けんかは起こるのだ。けんかまで、上のように段々と雰囲気は悪くなっていたが、その発端は、予定していたレストランに行けなくなったことであった。振り返ってみれば、時間計画を立てなかったことに原因があり、自業自得である。その発端は本当に小さなことで、記事にするのも恥ずかしい。しかし、その時は、お互い目の前しか見えなくなっていた。昼時の空腹も一因だったのだろう。

 

このような時、わたしは、いつも「妻の言葉の端々にとげを感じ、感じた小さな言葉のとげを針のように感じ、針で刺されたからには、先週のネガティブな経験も併せて反撃に出てやろう」という世界で一番小さい男になる。

 

口げんか自体は、数分で終わるが、その重苦しい空気は長く残る。妻から「怒らないでー」などと言われると、自分の小ささを見透かされているような気がする。謝ったら、謝ったで、自分の小ささを認めているような気もする。それを認めたくないから「怒ってないよ」と返して、冷静を保った風を装うしかない。表面上、お互い怒っていない、ということになっているから謝らない。しかし、実は怒っているから空気は重苦しい。。。こうして重苦しい空気が長く残るのである。

 

わたしも妻も、お互い譲らない。米ロ冷戦のように、時間が雪を解かしてくれるまで待つしかないのだろうか。一緒に外出を楽しむはずだった二人の子にも、いつも以上にイライラして冷たい態度を採ってしまう。

 

こんなの嫌だなぁ、なんでこうなっちゃうかなぁ、と胸の半分では思いながらも、もう半分の小さな男の心が具体的な行動に移させてくれない。こうして妻との戦いは、気づけば、いつも自分との戦いになる。

 

 

 

どちらも謝らず、会話のない、重苦しい空気のまま帰りの電車に乗った。外の空気には暖かさが残っていたが、風は冷たく、午前中の太陽もいつの間にか傾いていた。

 

電車で外出した際には、帰りの電車の中で、「今日はどうだった?楽しかった?・・・久しぶりに家族4人で一緒に遊んで楽しかったねぇ」と妻が子どもたちに話すのが決まりになっている。教育方針とか、ルール化とかではなく、自然な流れで。

 

この日も、けんかなく楽しく過ごせた休日同様、妻は子どもたちに「久しぶりに家族4人で一緒に遊んで楽しかったねぇ」と話しかけていた。

 

わたしは、その言葉が、自分にも向けられているように感じながら、湧いてきた疑問の答えを探していた。

 

 

 

妻は、この重苦しい空気を感じていないのだろうか。

妻は、子どもに対して「パパとママは、けんかなんかしてないよ」と念押ししているのだろうか。

・・・

そして、妻は本当に楽しかったのだろうか。

 

 

 

わたしには、その真意を問うことなどできるはずなかった。それこそ、自分の小ささを認めることになるからだ。なんという意地っ張り。わたしは、どこまでも小さい男なのだということを思い知った。妻の言葉が、わたしに対して「これでけんかはおしまい。仲直りね」と言っているようにも聞こえたからだ。

 

謝らないのは、許してくれる妻と謝らない自分に対する甘えなのだろうか。子どもたちに対して「楽しかったね」と話しかけながら、わたしとの仲直りを告げる妻こそ、真の勝者であり、立派な大人である。結局、意地を張ったわたしは、妻との戦いにも、自分との戦いにも負け、いつまでも「大人」なれない男であることを自覚した。そして、心の中で「ごめんね」とつぶやいて敗けを認め、もういい加減、「大人」になりたいな、と思うのであった。

 

 

 

駅で止まった電車の外を見ると、太陽は傾き、露店ののぼりがゆっくりとはためいている。電車のドアが開くと、中に冷たい風が吹き込んでくる。傾きつつある太陽と冷たくなった風が、「今日もママの勝ちだね」とわたしの方を見てクスクス笑いながら、ささやき合っているような気がした。