めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

序列を気にしないで済む世の中ならいいのに。

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先日、、春が確実に近づいていることを感じさせるぽかぽか陽気の午後、出勤時の通勤電車の中で、ふと横に座っている男性の方を見ると、どこかの企業の部署内の序列表を何枚か確認しているのが見えた。特にその内容を見ようとしたわけではなく、横の人が動くのが視界に入って気になったのである。

 

その序列表は、序列、氏名、職種、成績等が一覧になっているものであり、数十名の情報が記載されていた。他の人にとっては取るに足らないことかもしれないが、わたしにとっては、「序列」というもの自体が特別な存在であり、その表の存在を確認したとき、頭を後ろから殴られ、胸をえぐられたような感覚を覚えた。

 

 

 

 

 

忘れたくて、ようやく忘れかけていたものを、無理やり思い出させられたのだ。

 

 

 

 

 

わたしは、高校、大学、省時代と、常に順位や肩書に縛られ、それを追い続けてきた。特に省時代は、常に「序列」のことを考えていた(勝手に頭に浮かんでくる)と言ってもいい。仕事中はもちろんだが、課業後、家でリラックスしていいはずの時間まで常に序列を上げるため、または、下げないための努力をし続けてきた。また、どこで何をしていても、常にピリピリしている、頭の隅に序列や試験のことがこびりついている、というような感覚であった。

 

努力した結果、仕事や試験でいい評価をもらえれば安心し、目標を達成できなければ反省したり、他人のせいにしたりしてきた。省時代のわたしもトップをとると、常にトップでないと不安になった。不安感が増すからますます序列に縛られ、私生活まで序列を維持するための生活や考え方、時間の使い方になっていった。

 

わたしも「上司がくれた評価や試験成績に一喜一憂する仕事の仕方ではいけないし、おかしい」ということには気づいていたが、常にレースの中におり、そのような心の声に耳を傾ける心の余裕がなく、聞こえないふりをして走り続けてきた。

 

 

 

ただ、十年も走り続けていると、休憩が必要になるらしい。わたしも、一度止まってみる決断をしたのだ。それが一年前、転職を考え始めたときだ。このとき、走る必要があるのか、なぜ走らなければならないのか、走っているコースは正しいのか、ゴールはどこなのか、そして、ゴールの先に何があるのか、といったことをあまりにも遅いが、初めて考えたのである。

 

 

 

転職後は、序列を考えることはまったくなくなった。もちろん、店の順位はあるが、個人としての成績や序列は考える必要はない。個人の序列でなく、あくまで店の順位を上げるために同僚と協力し、助け合う。このような仕事への向き合い方がとても新鮮だし、すがすがしく、全力で仕事に集中できる。わたしは、今の職場のこのような環境は、本当に気に入っている。

 

 

 

序列のことなど忘れたくて、忘れかけていたにも拘わらず、電車の中で序列表とは・・・

 

 

 

やっぱり、社会には序列がなければやっていけないのかなぁ。社会的に序列なんかなければみんな楽しくなるのになぁ・・・いや、それはムリだよな。頑張った分だけの見返りがなけりゃ、みんな頑張らなくなるし。でも、個人的には、序列があると、変な感じになるんだよなぁ。人の幸せよりも、自分の序列を求めるみたいな・・・こういうのって、なんか嫌だなぁ。自分が嫌いになるわぁ。嫌な世の中だよな、でも、仕方ないのかな。。。

 

という堂々巡り、一人泥仕合をせざるを得なかった。仕事が忙しいのと序列や肩書に縛られ続けるのとでは、後者の方が断然疲れる。もちろん、今が前者、転職前が後者である。

 

 

 

嫌なもの思い出しちゃったな、と思いながら電車を降りた。

 

 

 

駅を出ると、空気は春の陽気であったが、晴れていた空は曇りになっていた。