めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

ツイートを真に受けたら危険ですよ!!例えば、インプットの方がアウトプットよりもよっぽど重要なことについて。

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わたしも、相当な未熟者ではあるが、熱い思いを胸に、記事を書かせていただきたい。

 

 

 

バカはしゃべらない方がいい。というなかなか挑発的かつ衝撃的な指導を受けたのは、前職で英語の通訳コースを学んでいた時だ。

 

英語を学ぶコースであるにも関わらず「英語バカになるな」という趣旨での指導に衝撃を受けたのを覚えている。日本文化や歴史も知らずに、世界に通じる英語でバカみたいに日本のことをペラペラ話すな、話せば話すほど日本の国家としての程度を知らしめることになる、というわけである。

 

 

 

 

このように、バカはしゃべらない方がいい、と指導を受けたのを思い出したのは、数日前に、以下のようなツイートを見たときだ。

 

「本なんて読んでないで、10代の若いときからとにかく自分の頭で考えて、発信した方がいい、自分の経験で語れる大人にならなきゃ意味ないよ」

 

いつものように反射的にいいね、とか、リツイートをしようとして指が止まった。ちょっと待てよ、これは何か違うぞ、と思った。

 

同ツイートへのリツイート(賛同の意味だろう)やいいねは多数あった。そのツイートの主は、20代の若さで1万人以上のフォロワーを抱えているようで、影響力はなかなか大きいのではないだろうか。おそらくフォロワーも若者が多いだろう。

 

少し考えて、やはり、このツイートのいろいろな部分がおかしいし、真に受けてはいけない、と確信した。自分の考え方に合わないツイートなど読み流せばいいし、そのツイートがすべてその主の人格を表したものではない、ということは百も承知である。しかし、かなりの影響力のあるツイッタラーがこのような考え方を普及し、それに多くの方が賛同している現実に、悲しみの混ざった怒りのようなものを感じ、書かずにはいられなくなったので、記事にするものである。

 

上のツイッタラーのような考えだけでなく、こんな考えをもった人もいる、と頭の片隅に置いておこう、くらいに思って読んでいただきたい。その程度だったとしても、記事にした甲斐があるというものだ。

 

 

 

①本なんて読んでないで10代の若いときからとにかく①自分の頭で考えて②発信した方がいい③自分の経験で語れる大人にならなきゃ意味ないよ」

 

以下、上の①~③にわけて、わたしなりに反論し、アウトプットよりもインプットの方がよっぽど重要であることを主張したいと思う。

 

※ なお、このツイートは、何通りかの解釈ができる。インプットよりもアウトプットの方が大切、という意味か、読書よりももっと効果的なインプット方法がある、という意味か、それとも・・・以下、このツイートが、インプットよりもアウトプットの方が大切、という趣旨だという前提で反論していく。また、インプット、アウトプットの量的割合は、年齢やその環境によって求められるものが違うとは思うが、以下は、あくまでも一般的、平均的な日本人、という観点での意見である(ちなみに、20代は100%、30代は80%の力をインプットに注ぐべき、とわたしは考える)。

本なんて読んでないで、自分の頭で考えて→インプットの一手段である読書を侮ってはいけない。

インプットがなければ、自分の頭で考えることなどできない、という当たり前のことに気づいてほしい。これは、小学生に何も教えずに「考えろ、自分の頭でな!」と言っているのに等しい暴論だと思う。

 

もちろんインプットの手段は、読書だけでなく、人との出会い、広く深い体験、生涯残る感動、自分との向き合うことなど、挙げればきりがない。それでも読書は、歴史の荒波を超えて現代に伝わる貴重な考え方や、勉強して作家になった人の考えを、高くともたったの数千円、数時間で吸収できる極めてすぐれた手段である。なぜ、その「読書」を軽んずるのか、わからない。

 

また、読書は著者の考え方だけでなく、語彙力、論理力、集中力、情緒等を鍛えることができる。ツイッターのような話し方が通用するのは、20代まで。30以上になったら、ある程度の語彙力や論理力を備えていないと、信頼されない。もちろん、芸能人やデザイナーなどの、何らかの「爆発的な才能」で勝負する人はそれでいいのかもしれない。

 

しかし、わたしを含む1億人以上の一般的な日本人は、「読書よりも・・・」という考え方を鵜呑みにしてはいけないはずである。

発信したほうがいい→まずはアウトプットよりもインプットの方がよっぽど重要

これこそ、バカはしゃべらない方がいい、という指導内容がそのまま当てはまってしまう部分かもしれない。(読書による)インプットがなく、自分の頭で考えられない人は、ろくな発信ができない。そんな発信になびく人は、それなりの集団なのではないだろうか、と疑いたくなる。

 

土のないところに木が立たないのと同じで、圧倒的なインプットのない人に、いいアウトプットはできない。

 

アウトプット(発信)よりも、まずは、インプットである。

自分の経験で語れる大人→これって何?

自分の経験で語れる大人、というものが何を示しているのかがよくわからない。100字、という縛りのある中での表現なので、仕方ないとは思うが・・・

 

この、「自分の経験で語れる大人」という言葉からは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というだれもが知っている真実を連想せざるを得ない。某ツイッタラーは、「自分ならではの世界(=価値観)を持った大人」と言いたかったのかもしれないが、真意はわからない。ツイートを見た1万人以上が、そこまで想像したか・・・していないだろう。

 

ただ、この自分の経験で語れる大人、という耳障りのいい言葉が「自分ならではの世界(価値観)を持った大人」という意味なのだとしたら、「発信」はこれに到達するためのものでなく、その価値観を発信するための手段に過ぎない。発信を過大評価しているのではないだろうか。

まとめ

わたしは、ブログを始めて3カ月、ツイッターを始めて1か月だが、どうも、これまで常識と言われてきたことに真っ向から反対する「威勢のいい主張」が人気を集めているように思う(このツイートだけでなく)。

 

例えばインプットより、アウトプット!という威勢のいい主張に多くの人がなびくのは、まじめにやって来たのに、思ったほど成果が上がらない現実に対して、心のどこかで不満を感じているからではないだろうか。

 

また、インプットというものが地味で、成果を実感しにくく、とっつきにくい一方で、アウトプットが簡単でかっこよく、これまでとは違うイメージがあるからではないだろうか。

 

もし、そうだとしたら、目をつむって、胸に手を当てて、振り返ってみていただきたい。ろくなアウトプットができるほど、インプットしてきたのかを問うてほしい。そして、本当にインプット(読書)なしで発信ばかりしていれば立派になれるのかを問うてほしい。認めたくない事実が、そこにはあるはずだ。

 

 

 

ツイッターをはじめとする各種SNSが与えてくれる、誰でも簡単にいろいろな人の持つ意見に触れることのできるチャンスは、様々な情報からの影響を受けやすくなるという危険性と隣り合わせにある。

 

自分が、あるいは、自分の子どもが、上のような一見魅力的な情報に無批判に賛同しないよう、それを説得できるだけの、すなわち1万人以上のフォロワーを持つツイッタラーの意見を説き伏せるだけの考えを持っておくことが必要な時代になっている。この記事すらもネット上に流れる一情報であり、これをどう捉え、どのような結論を出すかはあなた次第である。

 

威勢のいい主張になびいて、愚者になるか、歴史の荒波を超えて現代にも伝わる真実を信じて賢者になるか、それとも、あなただけの第三の選択肢を選ぶかは、あなたの手にかかっているのではないだろうか。