めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

派遣労働者の扱いが非人道的過ぎるコンビニとその従業員に怒りしか湧かなかった。

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先日、勤めているラーメン店の店長に頼まれて、一駅隣の同系列の店にネギを借りに行くことになった。ネギの発注ミスで、その日の午後の分が足りなくなったのである。

 

 

 

発注ミスは結構あるもので、近くの系列店に材料などを借りに行くことはしばしばある。転職してから約3カ月だが、わたしが借りに行っただけでも5回くらいある。

 

店の中でのバタバタと忙しい仕事とは違って、勤務時間中に自分のペースで電車に乗って外に出られるのは、なかなか楽しいものだ。小学生のころの遠足で、お菓子を食べられる、というときの気持ちに似たワクワク感(背徳感に近い)を感じる。

 

 

 

店内での仕事中にはいじることのできないスマホをいじりながら、電車に乗って隣の店までネギを借りに行ったわけだが、最寄り駅の近くのコンビニでドリンクを買って差し入れることにした。借入先店舗の店長から、何度か差し入れをいただいたことがあり、そのお返し、というわけだ。

 

駅の改札を出ると、コンビニに入り、コーヒー、飲むヨーグルト、ミルクティなど5本を選び、かごに入れてレジに持って行った。

 

レジカウンターは二つあり、うち一つはすでに女性店員が接客中であったので、空いているもう一つのカウンターに進んだ。カウンターの上に買い物かごを置くと、すぐに男性店員が来た。

 

「いらっしゃいませー」

 

とコンビニ店員らしい機械的な接客に、特に違和感は感じなかった。ただ、その男性の身長がわたしと同じくらい高かったことと、彼が50代半ばくらいに見えたことが印象的だった。50過ぎてバイトか、何かあったのかな、と勝手に想像した。

 

わたしはいつも、レジで接客を受けるとき、無意識のうちにレジ係の店員の名札(名前)を見る。

 

最近は外国人の店員さんも多い。

 

例えば、リーさんなどのアジア系の名前の方が接客してくれた時は、「この店員さん、留学生かな。日本語うまいな。大学生くらいだと思うけど、大学生で留学にチャレンジして、ここまでのレベルで外国語を身に着けているんじゃ、将来有望だろうな」などと、ぼーっと考え事をする。わたしは差別主義者でも何でもなく、この思想巡りに特に意味はない。

 

 

 

この時も、いつものように、レジ打ちをしている彼の名札をぼーっと眺めていた。

 

無意識に感じた違和感がはっきりした疑問に変わるまで、数秒くらいかかったような気がする。そしてそれが、暗い気持ちになり、コンビニや周りの従業員に対する怒りに変わるのにまた数秒。。。

 

彼の付けていた名札には、はけん、という三文字が並んでいた。ひらがなで。ひらがな三文字で「はけん」なんて名前の人はいない。「派遣労働者」という意味なのだろう。

 

 

 

一瞬、状況がよくわからなくなった。同時に複数の疑問が浮かぶと、人は思考停止に陥るようにできているようだ。

 

数秒後、レジカウンターでレジ打ちを待ちながら、湧いた疑問を整理することができた。

 

派遣労働者には、自分の名を名乗ることすら許されないのか。

収容所で、そこの〇番!と呼ばれるのと同じじゃないか。

普段、この人たちは、お互いのことを何と呼び合っているのだろうか。

周りの従業員は、このことに関してを店長に改善を訴えなかったのか。あなたたちの名札には漢字でそれぞれの名前が記載されているではないか。

名札を用意した店は、「はけん」とひらがなで表示すれば、明るく、柔らかいニュアンスが出るとでも思ったのか。

 

きっと、「はけん」という名札を付けさせられた名もなき派遣労働者は、言葉にならない声を抑え込んでいるに違いない。最初は疑問に思っても、慣れたら平気で疑問すら感じないものなのだろうか。正直、彼に対する非人道的な扱いを見て、コンビニとその従業員に怒りが湧いた。

 

派遣会社は、社員(派遣会社に登録している人)の希望と店側の希望が合致するところに、人材を派遣する。だから、店側としてはだれが来ようと、その人が「はけん」さん、であることに代わりはないわけで、問題もない。それぞれの名札を準備する手間を省いたのだろうと思う。

 

もしかしたら、わたしが世間知らずなだけで、世の中こんなもんなのかもしれない。どの店舗にも名も名乗らず、派遣労働者〇号として働く人ばかりなのかもしれない。今後、このような働き方が一般的になるのかもしれないとすら思える。

 

 

 

それでもわたしは、社会に「名もなきはけんさん」が増えていくことは、悲しむべきことであると思う。世界が灰色になっていくような気がするからだ。

 

 

 

コミュニケーションの第一歩は、相手を認めることだ。

 

名を名乗ることを許されず、名前を認識されないとき、コミュニケーションの基本である、存在の認知、という段階すら踏めない。存在すら認められない者は、発言するにも、人からの発言を受けるにも躊躇するものである。

 

ただシフトの時間帯に、出勤し、制服に着替えた瞬間から名前のあるだれだれさんという人間としての存在を消し、「はけん」さんというレジ打ちロボットになるのである。だれもそんな職場は望んでいない。

 

人件費の削減だか、人材発掘の柔軟性だか何だか知らないが、世界が灰色になるくらいなら、こんな制度はない方がいい。しかし、その中でも確実なのは、制度がどうであれ、それをいかに利用するかは我々にかかっている、ということだ。つまり、世界を何色にするかは我々次第、ということである。派遣労働者を扱う場合があったとしても、彼らを「名もなきはけんさん」にしない方法はあるはずだ。

 

 

 

わたしは灰色のペンキのついた刷毛ばかりを握っていたくはない。働くこと自体にも生き生きとして取り組める、色とりどりな世界の方がきっと楽しいだろうから。