めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

「好きな事で生きていく」は魅力的。でも、そのための努力や考え方こそが大切。

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ブログやツイッターを始めてから、「好きな事で生きていく」という趣旨の発言等を目にすることが増えた。そのような発信を一日一回は見る。多くの人にとって、これが魅力的に映るからだろう。もしくは、多くの人が、「好きな事で生きていく」ことができずに悩んでいるからかもしれない。

 

わたしも、「好きな事で生きていく」ことは、とても魅力的なことだと思う。これが前向きで、悩みとは無縁な感じがするからだ。※ある資料によれば、稼げて、好きで、得意で、必要とされることを「ikigai」というそうだ。この記事では、その要素をすべて含んだものを「好きな事」としている。

 

実際、「好きな事」をやれている場合、それに没頭している状態に近く、心が勝手に前に動くので、悩むことは少なくなる。しかも、それをすることで、人の役に立ち、お金が稼げる(必要最低限でもいい)なら、これ以上のことはない。

 

やはり、「好きな事で生きていく」という生き方は魅力的なのである。

 

 

 

ただし、早合点してはいけないことがある。

 

 

 

それは、「好きな事」を見つける(=今やっていることを好きになる)努力や考え方こそが大切だということである。これは、地味で、時間のかかることだということも知っておかなければならない。

 

 

 

概して若い世代は、自分が好きな事が一体何なのか、ということを知らない。やってみて、それでお金を稼いでみないとわからない。生涯それで生きていけるほど好きで、稼げるものは、ただやっていて楽しいこととは違う。これは、実際にやってみなければなかなかわからないのである。いくら「好きな事で生きていく」のが魅力的であっても、最初からその状態に身を置くのは難しい。だから、「好きな事」探しをし続けることになりかねないのである。

 

だから、若いうちは、いきなり「好きな事で生きて」いこうと躍起にならず、ある程度の時間、目の前のことに没頭してみた方がいい。これが、「好きな事で生きていく」ための努力である。目の前のことが好きかどうかわからないのであれば、とにかく、とことんまでやってみること。これで初めてそれが「好きな事」かどうか、そして、それで「生きていける」かどうかがわかるからだ。

 

もし、結果的にそれが「好きな事」にならなかったとしても、その過程でたくさんの経験値(知識、経験、人とのつながりなど)を得られるし、それ自体が「好きな事」になる可能性もあるわけだ(知識、経験、人とのつながりなどが総合的に好き、という状態)。没頭しなければ、その両方の可能性を捨てることになる。

 

ここで、二つの疑問が出てくる。それは、

①ある程度の時間とはどのくらいか

②没頭できなかったらどうすればよいのか

ということだろう。

 

まず、ある程度の時間とは、人それぞれ違う。それは、自分の「好きな事」が見つかるまで(好きな事が見つかる=やっている事が好きになるということでもある)かもしれないし、やっていること(目の前のこと)をどうしても好きになれずに諦めるまでかもしれない。これにどのくらいの時間をかけるかは、人それぞれの覚悟が必要なのである。

 

実は、この「覚悟」というものがやっかいで、若い世代にとっては、初めて経験する人が多いはずだ。そのタイミングや心の持ち方はだれも教えてくれない。これを経験することが大人になる、ということなのかもしれない、とも思う。

 

 

 

次に、没頭できなかったらどうすればいいのか。それは、没頭する先を変えなければならない。没頭すらできないものは、「好きな事」に格上げされる可能性が極めて低いからである。

 

ただ、没頭せずに先を変える機会が多くなるほど、「好きな事」から遠ざかる可能性が高くなることを知っておかなければならない。それは、方向変換にとても多くの時間がかかるからだ。「好きそうだな」という大まかな方向だけ決めておいて、その方向のものに対して没頭してみるのが近道だろうが、それに没頭することと、それ自体が「好きな事」でそれで「生きていく」かどうかは、その人自身が覚悟をもって決めなければならない。答えはどこかに落ちているわけでなく、自分の中にしかないのである。

 

 

 

また、ここで、「好きな事で生きていく」ことに関して、わたしが一番大切にしている考え方を紹介したい。それは、「生きていることが好き」になるということである。

 

「好きな事で生きていく」ということがとても魅力的に映る反面、既に述べたように、本当にそれが好きかどうかは、当人にしかわからず、本当に好きな事であっても、嫌な事や面白くない事だって経験するのである(しかもそれは、目の前のことを始めたばかりにやって来るかもしれない)。みな、好き、と嫌いやあきらめの間でバランスを取っているのである。

 

わたしを含んだ、ほとんどのビジネスパーソンが、休日を楽しみにしているし、仕事に行きたくない、と思うことだってあるわけだ(それでもわたしはラーメン店での仕事は好きだ←これが好きと嫌いのバランス)。好きでやっていることだから、休日も平日も関係なく、普段の生活自体でお金を稼げている、という人は、本やネット上の世界では有名だが、実際に数にすると、ほとんどいないのではないだろうか。

 

ただ、面倒な仕事でも、楽しいと思える要素も大いにある。しかも、仕事は、生きることのほんの一部なのであって、仕事以外にも楽しいことはたくさんある。仕事だけが人生(「生きていく」こと)でなく、それ以外のできごともすべて人生なのだ。

 

わたしを含むほとんどの人にとって大切なのは、日々の生活の小さな「好きな事」を集めていくと、「生きていることが好き」になる、ということではないだろうか。「好きな事で生きていく」というのも、結局は「生きていていることが好き」ということなのかもしれない。

 

目の前のことがなかなか好きになれず、「好きな事で生きていく」ことに躍起になっている方は、もちろんその行動や頑張り自体、すばらしいし、尊いものだと思うが、どこかに心の余裕を持って、「生きていることを好き」になる考え方をしてみてはどうだろうか。これも一つの生き方だし、一つの幸せの形だと思う。これが、「好きな事で生きていく=生きていることが好き」のための考え方である。

 

 

 

 

 

ここまで「好きな事で生きていく」ための努力や考え方こそが大切であることについてまとめてきた。

 

繰り返しになるが、何が好きか、そして、どう生きていくかは、人それぞれの覚悟が必要だということを忘れてはいけない。自分に向かい合い、正直になって時間と労力をかけ、答えを出さなければならず、答えを出したら、それを信じて前に進むのみである。つらいことがあっても、これも好きな生き方なのだと信じるしかない。

 

だれでも「生きていることが好き」にはなれる。

 

わたしは地元の高校を出て、関東の大学を卒業し、6年前に結婚、子供をもち、10年務めた公務員を辞めてラーメン店にヒラで務めているが、仕事も、趣味も、家庭も、好きな事も嫌いな事も、悲しい事も楽しい事も、すべてひっくるめて「生きていることが好き」だ。

 

お金もないし、特別な知識や能力もない。家庭だって、趣味だって平凡そのものだと思うが、それは、「わたしにしか味わえない平凡」なのだと思う。わたしは、わたしに生まれ、わたしの人生を歩むことができて、本当に幸せ者だと思っている。

 

これからも、わたしはわたしであり、周りへの感謝を忘れずに、明るく楽しく過ごしていきたい。これが、「好きな事で生きていく」ということだと、信じているから。