めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

もう二度と「怪獣はもう、死んじゃったから?」とは言わせない。

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わたしは今日、妻と大げんかをした。

 

これまでにも、夫婦げんかの経験は何度かあった。怒鳴り合うもの、お互い言葉を発しないもの、机の上のものが宙を舞うもの、コーヒー牛乳のしぶきが飛ぶものなど。

いろいろな夫婦げんかをしてきたと思うが、今回のけんかも、これに匹敵する激しさだった。

 

けんかをしてから半日以上経った今思えば、なんであんなことで言い合いになったのかと情けないし、後悔でいっぱいである。言い合い、というよりも怒鳴り合いであった。

 

けんかは今日の午前中で、わたしがエクセルで一か月分の家計簿をまとめていた時のことである。妻の負担が少しでも楽になればと思い、先月二人で決めて、今月からわたしがエクセルで家計簿をつけることにしたのだ。

たかが家計簿、されど家計簿であって、意外に面倒なものである。

レシートの束の金額を食費、娯楽費、交通費等の区分ごと一時間ほどかけて整理していたが、記録をつけ終わったころにわたしは、妻が言っていない(レシートをわたしに出し忘れている)交通費があったことを思い出した。

そこで、わたしが「そういえば、あの日、〇〇まで電車で行ったよね?いくらかかった?」と聞いたところ、妻は「そんなの忘れちゃったよ。あなたがエクセルでやるって言うから、使ってすぐにつけられなかったじゃん」と言ったのである。

 

カチンときた。もしかしたら、日ごろ、別のところで(仕事、家庭などすべてを含めて)積もったストレスがあったのかもしれない。

 

こうして文字にしていても、いまだに何でこんなにけんか売ってくるの?と思ってしまうが、わたしの感覚から言えば、昔から妻は言い訳が多い(もちろんいいところはたくさんありますよ!)。

〇〇だからできなかった、できない、と言って、どうしたらできるのかを考えようとしないことが多いように感じる。

普段、人に怒りを感じることはほとんどないが、言い訳だけはどうしてもイラっとしてしまう。「できない」の前に、「やろうと努力した」のか?と思ってしまうのである。

 

売り言葉に買い言葉で、

めん「じゃあどうすればいいの?そもそも、二人の同意があって、オレがエクセルでやるようにしたんでしょ?」

妻「逐次情報を共有できるようにしてよ。あなたがエクセルでやってたら、わたしが見れないじゃん!だからその都度記録できなくて忘れちゃうんだよ」

めん「共有するサービスがgoogleにあるけど、そんなのにしたってどうせ見ないでしょ!?実際、ノートでアナログでやってた時だって、月末にまとめてやってたじゃん。しかもほとんどオレが!」

妻「はぁ!?dlfじゃふぃえsjf」

!!!???”?”?**+‘‘{{‘P`WQFLW`LD`!!!

★△だfkじゃlkdjか!!!

・・・

 

イライラと言葉はいったん火が付くと、いくところまでいく。

言い合い(怒鳴り合い)はしばらく続いた。わたしは気づくと、壁を叩いていたし、妻も何か机にたたきつけながら叫んでいた。

壁をたたく途中で、手の若干の痛みから、頭に血が上っていることに気づいたが、抑えることができなかった。半ば意地にもなっていた。文章にするのも恥ずかしい。

 

その時4歳と2歳の子供が近くにいたはずだが、どこにいて、どのような顔をしているかも全く目に入らなかった。言い合っている妻の姿しか見えなかったのである。

 

かなり長い間言い合いを続けていたように感じた。どちらも謝ることはなかったし、振り返れば、けんかの内容もあまり覚えていない。

お互いの言葉の端々に突っかかり、自らの至らない点は気づかないふりをして、相手の揚げ足を取り合っていたように思う。

 

お互いをののしり、怒鳴り、壁をたたき、モノに当たり続けていたところ、4歳の息子の震えた声でわたしと妻は我に返った。

 

「おうちが壊れちゃうよぉ・・・やめてよぉ。」

 

息子の表情は、わたしと妻のいつも見ない姿におびえつつ、涙を我慢しながら、言うべきことを言うための勇気をふり絞った、というものだった。

涙をこらえつつ、声を震わしていたが、その目つきはキリっと、しっかりわたしの目を見ていた。

言い合いと、モノへの当たり合いはピタッと止まり、わたしは「壊れないよ、壊れてないよ、ほら」と言って、たたいていた壁が無事なことを見せた。本当は、「そういうこと」ではないことなどわかっていたが。

 

わたしは、妻と息子に何も言うことなく、自分の部屋へ行き、椅子にドカッと座って背を預け、深呼吸をした。

心臓の鼓動がやたらと速く、大きく聞こえた。

なぜけんかが始まったのか、なぜ始まったけんかを子供の前で続けたのか、なぜモノに当たっていたのか、血が上り切った頭で若干混乱しており、なかなか整理がつかなかった。

 

ようやく心臓の鼓動が聞こえなくなったころ、息子が部屋に入って来た。

恐る恐る、という感じである。

わたしのところへ来たが、わたしを見ることなく、机の上のチョコレートの包み紙をいじりながら言う。

「もうおうち、たたかないでね。壊れちゃうから」

4歳にして、言いにくさを感じているのだろうか。

「ごめんね、おうちをたたいて。でも、もう大丈夫、これからはそんなことしないから」わたしが言うと、

「怪獣はもう、死んじゃったから?」と息子が聞いてきた。

 

一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。

一番はじめに頭に浮かんだのは、ウルトラマンなどに出てきて、ビルや民家などの建物を踏みつぶしながら暴れまわる怪獣であった。

 

そして、はっとした。同時に恥ずかしさ、悔しさ、申し訳ない気持ちが同時に湧いてきた。

息子は、怒鳴り、壁をたたくわたしに「怪獣」を見ていたということに気づいたからである。

わたしは、どれだけ醜い顔をしていたのだろうか。どれほど野太く、大きな声を出していたのだろうか。どれほど強い力で壁を叩いていたのだろうか。

 

そして、それがどれだけ恐ろしい「怪獣」に見えたのだろうか。

 

わたしは、「怪獣は死んじゃったから、大丈夫」と言うのが精いっぱいだったが、「ごめんね」と付け加えるのは忘れなかった。

 

 

 

わたしは、いつから心の中に「怪獣」を育てていたのだろうか。子供の頃にも、友達とけんかをしたり、親から叱られて反感をもったりしたことはある。

しかし、それは、大人が人に対して怒る感情とは違い、「怪獣」ではなかったはずだ。

 

大人は、だれでも「怪獣」を心の中にもっているものだし、それがいい成果につながることもあるとは思う(時に激情は人を強烈に前に押し出す)。しかし、今日のわたしのような傍若無人な「怪獣」は、人に恐怖を与え、傷つけるだけなのである。

息子の記憶にも小さな心の傷として残ってしまいかねないことをした、と本当に後悔している。

 

まだ、息子の心には「怪獣」はいない。

大人になるにつれ、心の中に「怪獣」を持つしかないのであれば、それとうまく付き合っていく術を習得してほしい。

 

わたしは、もういい大人ではあるけれど、この観点から言えば、その術を習得中である。自分がまだまだ修行中の身であることを、まさか息子から教わるとは。

 

ただ、息子には、もう二度と「怪獣はもう、死んじゃったから?」などとは言わせない。わたしはそう決めた。わたしの「怪獣」が生き返ってまた暴れださないように、寝ていてもらうと心に決めた。