めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

田端氏の「子供リスク分散ツイート」とそれを擁護する記事の感覚が理解できない

スポンサーリンク

Twitterを見ていたら、また田端氏の炎上ツイートが流れてきた。

最初、過労死は労働者の自己責任という面もあるというもので、賛同、反対のツイートが入り乱れて炎上していた。

またやってるなぁ、でも、過労死は使用者の責任だよ。法律的なところは詳しくないけど、感覚的な話として、と思って見ていた。

考えたことを記事にしようかとも思ったけれど、こういうことは話題になりやすいし、法律的なところについて詳しくないので、感情的な話ばかりしてもなぁと考えてやめた。

 

そんな中、夜、ふとスマートニュースを見てみると、はてなのカテゴリーにこんな記事が掲載されていた。↓

popaikenzo.hatenadiary.jp

 

田端氏の(「過労死自己責任ツイート」とは別件で)Twitterで炎上している「子供リスクヘッジツイート」について、親の気持ちとしてはわかると一部擁護するものだ。

 

上の記事を読んでいただければわかるが、田端氏のツイートはこのようなもの。↓

 

過労死自己責任ツイートも感覚的に理解できなかったけど、これ(↑)も理解に苦しむ。

また、冒頭に紹介した記事は、「田端氏のツイートを親の気持ちとして理解できる」として一部擁護しているが、二人の子の父であるわたしには到底理解できない。

子供を失うことについて、人生いろいろだから、しょうがないということについては、理解できる。

しかし、子供を複数もつことについて、リスク分散とは・・・?

 

このツイートについては、それを擁護する記事も読んでしまったので、どうしても記事を書かずにはいられなくなったので、記事にする。

※ただ、田端氏のツイート、冒頭の記事とも、その記事等前後の文脈まで詳しく読んだわけではないので了承いただきたい。

 

わたしは、このツイートと記事について、2つの点で感覚的に理解できない。むしろ、違和感を通り越して、反感を覚えるレベル。

その2点とは、リスク分散という言葉の使用に対する違和感、子供を複数作ることで、子供を失うリスクに備えられないということだ。

これらについて、以下整理したい。

 

リスク分散という言葉の使用に対する違和感

リスク分散、という言葉は「予想されるリスクに備えて対応できる体制を取っておこと」という意味で、金融業界やビジネスシーンで使われることの多いもの。

この言葉からは、どうしてもお金やモノのにおいしかしない(わたしの感覚です)。

人の死だとか、子供ができる、といった生身の人には使わない言葉なんだろうと思っていた。

だから、上のようなツイートを見ると、人の死や子供は、モノか?と思ってしまう。

リスク分散という言葉を、こういうことに使ってしまう感覚、どうしても理解できないなぁ。

 

子供を複数作ることで、子供を失うリスクに備えられない

紹介したツイートや記事では、複数の子供がいれば、子供を失うリスクに備えられる、と言っているが、そうだろうか?

天皇家武家など、家の血筋を継いでいかなければならない、という文脈ならわかる。でも、ここではそうではない。

 

子供には、一人一人に等しく価値があり、等しく親から愛される権利がある。そして、それぞれの人生を歩み、最高に幸せになっていくことが望まれるし、そうあってほしい。

これが「かけがえのない」ということであって、他とは代えがきかないものなのである。

 

リスク分散とは、子供を失うリスクに備える、ということである。

家の血筋の継承に関する場面でもないところで使われる、リスク分散という言葉(概念)。

田端氏や上の記事の作者の家では、一人ひとりの子ががかけがえのないものではない、ということにならないだろうか?

常に血筋の継承だとか、遺産相続のことばかり考えているのだろうか?

お子様がかわいそうになってくる話だと思う。

 

子供を複数作ることで、リスクを分散できる、ということだけれど、一人ひとりがかけがえない、と考えれば、子供は多ければ多いほど失う確率も高くなるわけで、分散どころか子供を失って不幸になるリスクは高まる。

わたしは、その高まるリスクを前提としても、一人っ子よりも兄弟の方が兄弟同士や親子で学べることも多いし、より幸せな家庭を築けるメリットの方が大きい、と考えて複数の子供を作った。

他の家庭でも、このような感覚で子作りするのが当然、と思っていたが、必ずしもそうではなかったようだ。

 

単に、言葉の使い方を誤っただけなのか、ツイートや記事の前後に別の文脈があったのか、それとも、わたしの、言葉に対する感覚がおかしいのか。

いずれにせよ、今のわたしには、田端氏や記事の主の感覚がどうしても理解できない。

 

まとめ

わたしは、Twitterを始めた当初から田端氏をフォローしていて、炎上もするけどおもしろいサラリーマンのおじさんいるなぁ、という感じでツイートを見ていた。

しかし、過労死自己責任ツイートと子供リスクヘッジツイートは、だいぶズレてるぞ、感覚的に、という感想を持った。

 

わたしは、人にはいろいろな意見があるのは当然で、社会人は、それを受ける多様性と忍耐力を備えるべし、という考えを持っている。

だからこそ、自分とは相いれない考え方や思想を持っている人をブロックするのではなく、むしろフォローして読んできた。

でも、この「人として」という部分にズレを感じるのはつらい。どうしてこんなにズレている人が多くの人から賛同を得るんだろう?(ズレてるのは自分?)

ホントにわからなくなる。

 

わたしは、子供の頃、なんでうちは3人兄弟なんだろう?と思ったことがある(わたしは3人兄弟です)。

いずれ、わたしの子も、なんで2人兄弟なんだろうと思うだろうし、それをわたしや妻に聞いてくるかもしれない。

そのときに、死んだときのリスクに備えるためだよ、なんて言えるだろうか?

それを聞いた子供はどう思うだろうか?

感覚的に、「ああ、うちは2人兄弟だから、どっちか死んでも大丈夫なんだ」と思わないだろうか?

 

子供には、リスク分散とかではなくて、一人ひとり、それぞれが均等に愛され、最高に幸せになることを親から望まれている、と感じてほしい。

これこそが、子供が親から感じる愛情であり、親が持って当然の親心、というものなのではないだろうか?