めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

息子が将来、変態になるかもしれない。(転職後7日目)

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今日は、一週間ぶりの休みだったんですが、息子が将来、変態になる可能性を秘めていることが明らかになる事案が起きました。そのことについて書いておきたいと思います。

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本日の業務内容

休養日(店は年中無休)

感じたこと

今日は、一週間ぶりの休日で家族で公園に行き、夜は結婚記念日のお祝いをした。バタバタと忙しくも楽しい、新しい仕事の一週間が終わり、久しぶりにまったりとした一日を過ごした。

 

そんな、まったりした休日も夜になり、食事を終え、風呂の時間になった。明日への気持ちの入れ替えをしようか、という時間になりつつあった。

 

 

 

息子と娘の風呂は、わたしが休みの日以外は基本的に妻が一緒に入る形で入れている。わたしの帰りが少し遅いからである。今日は休日だということで、わたしが入れることになっていたので、妻は先に一人で入っていた。わたしはPCで作業しており、子供二人はそれぞれ好きなことをして遊んでいた。

 

変態になる可能性を秘めた息子の最近の流行は、iPad的なタブレットで写メを撮ることである。少し前までピタゴラスイッチ→電車→プラレール、ときて写メである。一日1000枚くらい撮って、その写真を見てくれと言ってくるし、自分側にカメラを向けて変な顔をして撮る、ぐるぐる回転しながらぶれた写メを撮る、暗い部屋でフラッシュをたいて撮る、などの応用技も最近覚えたようである。妻が風呂に入っている間も息子はタブレットで上に書いたようないろいろな方法で写メを撮って遊んでいた。

 

 

 

わたしはPC作業をしながら、おもしろいことするなぁ、と思いながら息子を見ていた。しばらくすると、息子は何かを思いついたかのようにタブレットを片手に風呂場に走っていった。わたしの位置からその先は見えなかったが、風呂の戸が開いた音と写メの音、妻のガチで嫌がる声がした。

 

 

 

 

 

息子が変態への扉を開いた瞬間であった。風呂の戸を開いたのと同時の出来事である。妻の裸を写メして喜ぶ息子。嫌がる妻。本気で嫌がる妻に対して、一枚だけだからぁ、という、訳のわからないお願いをして食い下がる息子であった。声しか聞こえなかったが、一枚だけだからぁ、というお願いは、まさに男性の願望(変態)を包み隠さず表に出したものである。息子にもしっかりと「変態」が備わりつつあったのである。

 

そう、男性は誰もが変態になる可能性を秘めており、その「可能性」というものを正常に大人になるにつれて、包み隠せるようになるものなのである。ほとんどの大人の男性は、それを包み隠して、その可能性があることすら忘れているだけなのである。

 

こういう観点に立てば、息子も3歳にして男性としての自覚が芽生えた、という喜ばしい出来事であったわけである。

 

しかし、喜ばしい、とばかり言ってはいられない。タブレットでの写メ、ということで何かの間違いでヤバい画像が拡散する、なんてことになるかもしれない。これを消去することはもちろん、息子の変態への扉に鍵をかける必要があったのだ。男性としての自覚が芽生えるのはいいが、変態への扉を開いたままにするのはまずい。

 

ただ、頭ごなしに「画像データを消しなさい、嫌がっていることをするのはよくないぞ」などと言っても、息子には通じないのである。なぜ妻が嫌がっているかすら理解していないからである。無知、とは残酷なものである。3歳、という年齢はこれほどにまで残酷なのである。

 

 

 

 

 

わたしは、息子を呼んで、「恥ずかしい」というのがどのような感覚なのかを理解させようとした。

 

めんおう:何でママが嫌がっていたのかわかる?

息子  :わかんないー

めんおう:じゃあ、息子は、裸で外に出れる?裸で道路歩けるの?

息子  :やだよー

めんおう:だよねぇ。だから、・・・

息子  :だって、靴はいてないじゃん。靴履けばいいけどさー

めんおう:靴を履けばいいってもんじゃないんだぞ。。。

 

 

 

 

 

裸に靴を履けば外に出られる。道路を歩ける。これが3歳の実力である。完全にわたしの想定外を行っていた。これではもう大人になることを待たずして変態だ。おれ以上だ!

 

 

 

 

ダメ、ダメ、と頭ごなしに言って、強制的に画像を消去して終わり、というのは簡単であるが、なぜそれが「ダメなこと」なのかを理解させるのは難しいことであった。一事が万事、「なぜ」を理解させることは難しいが、大切なことである。

 

大変かもしれない、時間も労力もかかるかもしれないが、子供のうちから物事の本質を教えていきたいと思う。