めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

「頑張りすぎない」というより、その本質は「力をコントロールする」ということである。よって、頑張りすぎないためには・・・(転職後15日目)

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本日も一週間ぶりの休日でした。家族で渋谷に遊びに行き、そのことを記事に書きたかったんですが、先ほど家に帰ってきて他の方の書いたブログ記事を読んでいたら、気になるテーマを見つけてしまったので、それに関するわたしの意見をまとめたいと思います。渋谷のことは、また別の記事にしたいと思います。渋谷もなかなか面白い発見がありました。

 

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本日の業務内容

【1月15日】

休養日(店は年中無休)

感じたこと

今日も他の方が書いたブログ記事をたくさん読んだ。わたしは、小説以外の本もそうだが、かなり読むのが速い方だと思う。というか、考えながら深く読む、という読み方と、概要だけつかむ読み方を分けているから、冊数や記事にすると読了した数が多くなる、と言った方がいいかもしれない。そんなの読んだって言わないよ、と言われればその通りかもしれない。

 

そんな本やブログの読み方をしているわたしであるが、特に重視して(集中注力を向けて)読んでいるのは、記事のテーマと見出しである。その流れに注目して読めばだいたいの主張がわかるからである。もちろん、時間をかけてじっくり読むことも大切な読み方だとは思うが、今の自分にとっては読む数を多くしたい、という考えがあるのでそのようにしている。読み方とは、何のために読むか(目的)に応じて変わってしかるべきである。だから、小説に関してはじっくり読むので、かなり時間がかかる。文庫本なら1ページ2分前後かかる。かかれている文章からその情景や登場人物の気持ちを考えながら読むと時間がかかるわけである(漫画の単行本も、1冊1時間くらいかかります)。

 

 

 

 

 

さて、今日ブログを読んでいて気になったテーマがある。

 

それは、「頑張りすぎない生活」や「頑張りすぎない方法」ということである。記事のテーマにもあったが、ブログ自体のテーマにしている方もいた。これは、別の表現でゆとり、ずぼら、まったり、とも表せると思う。みんな、同じようなことを理想としながらも、悩んでいる、ということなのであろう。なぜ、頑張りすぎない、というワードにピンと来たかというと、前職で指示されて動く職務から、指示して組織を動かす職務まで経験して、「頑張りすぎる」ということについて考えてきたし、自分なりの答えも出してきたからである。これについて以下書いていく(意見も人によっていろいろあると思うので、コメントいただければ嬉しいです)。

 

 

 

 

 

すでに記事テーマでネタバレしているが、結論から言うと、「頑張りすぎない」というより、その本質は「力をコントロールする」ということであると思っている。逆に言えば、力をコントロールできないから頑張りすぎるということが起こる、ということである。すなわち、頑張りすぎないためには、力をコントロールすればいいわけである。

 

そもそも、頑張りすぎる、という言葉の定義が、この議論のスタートになっているので、ここをはっきりしておきたいと思うが、これは、力をいろいろな正面に向けすぎて疲れてしまう、ということであろう。疲れてしまう、というのは場合によっては、次のことに力を出すことができなくなってしまう、とか、本当にやりたいことができない、ということである。また、議論の前提として、人生にはいろいろあって当然だし、その価値観も人それぞれなので、頑張ることをよしとしての議論ではなくて、以下のわたしの主張は言葉通りの白紙的なものである、と思ってもらいたい。

 

疲れてしまって、力を出したいのに出せない、ということになってしまってはつらいことだと思う。やりたいのにできない、やりたいことができないことほどストレスを感じることはない。やりたくないことをやらされる、ということとほぼ同義である。

 

 

 

 

 

さて、頑張りすぎないためには、力をコントロールすることである、と言ったが、コントロールする、と一言に言っても、必要な要素が2つある。

 

 

 

1つ目は、力を向ける方向(目標)である。個人が出せる力の絶対的な量は、どんな人でも同じようなものである。だから、方向が多すぎると、「頑張りすぎる」という状態になる。頑張りすぎているにもかかわらず成果もでない、だからさらに頑張る・・・という悪循環に陥るのである。

 

では、力を向ける方向(目標)をどのようにして決めるか、ということであるが、これが一番大切なことである。どのような場面を取り上げるかによって、話が変わるが、共通しているのは、本質や目的を考える、ということである。「人生」という大きな話であれば、どのような生き方をしたいか、何を成し遂げたいのか、といったことを。「仕事」という短期的なことであれば、その仕事の目的は何かを。出せる力の絶対量が限定されている以上、目的から外れることに向ける力は少なければ少ないほどいいのである。できる限り少ない方向になるように、その本質を考えることに頭を使うことが大切なのである。

 

政治家や大企業家などは、大きなことをしているし、成し遂げているじゃないか、という声が聞こえてきそうなので、わたしの考えを言っておくと、 それは、出せる力の質が違うということである。質がいい、わるい、ということではなくて「違い」がある、ということだ。例えば政治家は議論して決定することによって、組織を動かして大きなことをしているのであって、議論と決定に力を注いでいるのである。わたしには政治家のようなことはできないが、政治家に今のわたしの代わりは務まらないのである。

 

 

 

2つ目は、決めた方向に出す力の量の割り振りである。全てに100%はムリである。割り振った10%を全力で取り組む、ということである。こちらの方は、わかりやすい内容なのでこれで理解していただけると思う(書いた言葉で理解していただいているかは、常々疑問すぎるが・・・)

 

「頑張りすぎない」ということは、ずぼら、ゆとり、まったり、といったような言葉でも表現できると思うが、それは、「力を抜くこと」ではなく、「力をコントロールすること」なのである。

 

まじめな人ほど疲れやすい、ということを聞いたこともあるが、それは、力のコントロールがうまくいかない、ということであろう。個人は力のコントロールを考え、指導者は、それを指導すること。これが大切なのではないだろうか。頑張るだけとか、頑張らせるだけではだめなのである。それは、個人であれば、自分の能力、得意・不得意をよく顧みること。指導者であれば、部下のことをよく知ることが必要なのだ。

 

 

 

 

 

手を抜くと、失敗することもあろうが、割り振った力の中で最大限の成果を出せば、それは失敗ではないのである。もっと自分自身と向き合うことを大切にして、環境に合わせることばかりに力を注いではいけないな、と思う。環境に合わせる、というのは、摩擦で力が逃げることに同じであるから。

 

このように考えれば、自分がおかれている環境の見え方が少し違って見えるかもしれない。