めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

例えば仕事をしてお金を稼ぐ夫と、仕事でお金を稼がない専業主婦の価値について。(転職後22日目)

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今日は仕事が休みで、いろいろな方のブログを読ませていただいていました。わたしには価値がない、というようなテーマの記事があったので、これについてのわたしの考えを記録したいと思います。

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本日の業務内容

【1月22日】

休養日(店は年中無休)

感じたこと

「わたしには価値がない」という考え方に対するわたしの意見は、「価値がないと思ってふさぎ込んだら、あったかもしれない価値までなくなる」というものである。

 

「価値」は、静的なものではなく、動的なものである。人の価値は、それを必要だと思う人にとって需要があるからこそ価値が出るからである。

 

例えば、ダイヤモンドの価値は、お金で測るとすごく大きな価値がある。それは、多くの人が価値があると認め、高いお金を出してでもほしい、という「需要」があるからである。しかし、わたしにとってどのくらいの価値があるか、というと、妻に結婚指輪を購入したときには価値があったが、新たにダイヤモンドをほしい、とは全く思っておらず、わたしにとっては価値がない、と言える(売ればお金になるので、その程度の価値はあるが)。

 

人に価値があるかどうかは、その人に関係する人にとっての「需要」が決めることなのであり、その人自身には決められないのである。仮に価値がないと思っても、他の人にとって価値(需要)があるかもしれない。

 

 

 

よって、価値がなくなるとしたら、自分には価値がない、と決め込んですべての人との関係を完全に断ち切った時である。そんなことがどうやったらできるかはわからないが。

 

 

 

わたしの妻は、たまーに「あなたはお金を稼いでいるから、人に認めてもらえていいよね」というような恨み節を言うことがある(専業主婦をしてくれている妻に対する感謝が足りないせいだとしたら、ごめんなさい)。 この発言の背景には「自分の価値が見いだせない」ということがあると思われるが、これは違うと思っている(妻にはそんなこと言えませんよ!!)。多くの人は「それは違うよ、専業主婦にも価値はあるよ」と言うだろうと思うが、どう考えたらそのような結論に至るのか、という説明を聞いたことはない。みなあまり深く考えていないのである。もしかしたら、「わからない」という後ろめたさから、考えないようにしているのかもしれない。

 

これを例をとって考えてみたい。なお、この際、価値とは必ずしもお金でしか測れないものではないが、わかりやすいのでお金で測ることにする(これがなくなったら悲しい、寂しい、仕事する気がしなくなった、などの価値がある場合がありますよね?)

 

わたしは、現在、ラーメンを作って提供する仕事をしていて、それに見合う対価を給与としていただいている。これは、ラーメンに代金分の価値がある、と思って来ていただいたお客様から受けたものの一部を、会社から給与分の価値を見込まれた、ということである。この意味では、「わたしがお金を稼いでいる、認められている」ということになろう。

 

では、専業主婦である妻のお金の面の価値はどうか。「給与」という目に見えやすい形で得られていないために、価値がない、と思われやすいが、形は違えどお金をもらっていないだろうか?子育てをしている場合は、「児童手当」をもらっている。子育てをしていない場合も各種補助金(扶養控除など)を受けている。これは、将来の日本を担う世代の育成や仕事をする人を支える者として、国や自治体から需要がある(認められている)ことの証ではないだろうか。制度としてすでにあるものの中に入る、という仕組みになっているから感じにくいが、国や自治体からの需要がある、としか考えられない。逆に、需要がなければ手当や補助金など出るはずがない。めんおう家とは違って女性が仕事をして、男性が専業主夫をする場合も同じことであり、性別で考え方が異なるわけではない。確かに、わたしの妻が言うように、外に出て仕事をしている人の方が目に見える「労働」の対価として収入を得ている分、価値を実感しやすいとは思うので、わたしが妻に感謝を伝えることは、夫婦関係をよくする上では必要なことであると思う。しかし、専業主婦である妻に価値がない、ということではない。

 

 

 

 

 

最初の問いに話を戻したい。「わたしには価値がない」ということに対するわたしの意見である。これまで見てきたように、価値とはその人に対する需要のことであるので、価値があるかどうかは、自分で決めることではなく、その人に関係する人が決めるものである。その対価はお金かもしれないし、お金で測れない場合も必ずある。繰り返しになるが、価値がなくなるとしたら、需要を感じるかもしれないすべての関係者との関係を完全に断ち切った時である。

 

「わたしには価値がない」と決め込むのではなく、自分の価値を信じる、価値を上げる努力をする、という姿勢が大切なのではないだろうか。別に価値を信じる必要もないし、上がらなくてもいい、という考えの方もいるだろう。それでならそれでもいいと思う。だが、もしその人が、本心からそのように思っているなら、「わたしには価値がない」とは主張しないだろうから。