めんおうブログ

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南北首脳会談の報道を見て感じたこと

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昨日は、国際情勢について興味のない人にとっても少なからず、興味が湧きそうな出来事があった。↓

みなさんご存知とは思うが、南北首脳会談において北朝鮮の金第一書記と韓国の文大統領が一緒に軍事境界線を越えたのである。しかも、笑顔で、手をつないで。

この記事は、1分もかからずに読めるくらい短い記事なので、ぜひ読んでみていただきたい。

この記事を読んだ時、「何だよこれ」という違和感があった。読んですぐにはその違和感の正体が何なのかはわからなかったが、一日経って、別のニュースサイトで同記事を読んだ時にはっきりした。

 

それは、誤解を恐れずに言えば、「お前らのお遊びじゃないんだぞ」という怒り翻弄された悔しさが違和感の正体だったのである。

 

この記事で一番悔しく、怒りを感じたのは、

金氏は会談のため、自身が未明に平壌を出発し、文氏も早起きしたでしょうと前置きした上で「われわれ(のミサイル)のせいで(文氏が)早起きするのが習慣になったのでは」と笑いながら話したという。 

という部分である。

 

早起き?それどころの騒ぎじゃないだろ!?

 

少なくとも、わたしは一国家公務員として、本気で米朝戦争、場合によっては第三次世界大戦、というものの可能性やその被害について心配していた。直接この分析業務をした仲間もいる。

わたしの狭い人間関係や個人的な心配などの小さい話以外にも、ミサイル防衛に費やしたお金(北朝鮮が友好的だと日本の偉い人たちは凄く困ってしまうのでは? - 自由ネコ)や、解決を望んでいた拉致問題の関係者などのこともある。

 

それが、なんで手をつないで笑顔でやってんだよ。という気持ちになったのである。

 

もちろん、南北首脳が1950年の朝鮮戦争以来、約70年ぶりに戦争が終結するかもしれない、という雰囲気づくりのための演出であることは間違いないし、それが外交という厳しい現実であることはわかる。

しかし、それでも悔しいし、人の命や生活というものを弄んでいるようで許せない。

 

約70年前の朝鮮戦争では、3年間で100万~200万の人の命が犠牲になった言われている。70年前でもこれほどの被害。これが2018年の米朝戦争や第3次世界大戦となったら、計り知れない犠牲が出ていたはずである。

金第一書記や文大統領だって、精神がすり減るような毎日を繰り返していたと思う。安倍総理だって、トランプ大統領だって、相手が何を考えているのかを文字通り死ぬほど考えて、国の方針を決めて、命を懸けて仕事をしていたんだろう。

 

それでも、手をつないで、笑顔で歩く二人があまりにも場違いに映る。あっけない。人の命や生活という一見当たり前に思えるものってこんなに偶然に左右されるものだったんだな、と。

もしかしたら、記事を読んだときに感じた怒りや悔しさは、彼らに向けられたものではなく、命や日々の幸せな生活を当たり前のことと思っていた自分や、時に政治(外交や防衛)がうまくいかないことに反感を持っていた自分自身に向けられたものだったのかもしれない。

 

第一次世界大戦は、セルビアの青年によるオーストリア皇太子暗殺をきっかけにして起こった。

第二次世界大戦は、ヒトラーを熱狂的に支持した国民が起こした。

太平洋戦争は、軍部主動の政治を許した国民が起こした(正確な国際情勢や国内政治についての報道が規制され、超限定的な報道しかなされなかったので、仕方ないともいえる←もちろん政治家や軍部に大きな責任がある)。

 

戦争とは、「あっけない」とも言える出来事や首脳の「思いつき」とも言える判断をきっかけにして起こる。そしてその被害は果てしなく甚大で、わたしたちの幸せな生活を奪う。にもかかわらず、日々の生活を自分のことばかりを考えて当たり前のように過ごしていた。

 

そんなことに気づいたからこそ、自分に怒りを感じたのかもしれない。

 

南北首脳会談での軍事境界線通過は、日々の生活をどのような気持ちで過ごしたらよいか、そして、その「当たり前のもの」を保証してくれる政治家に誰を選ぶべきかということを改めて認識させられる出来事であった。