めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

伝えたいことを伝えるというのは神の業

スポンサーリンク

最近、糸井重里さんの書籍「インターネット的」を読んで、久しぶりに震えるほどの知的感動を経験したので、感じたこと、考えたことを書きたい。

 

インターネット的 (PHP新書)

インターネット的 (PHP新書)

 

 

この本では、インターネットが普及して生活などが便利になったこと以上に、人の考えや暮らしがインターネット的(フラット性、不完全性など)になったことによる衝撃が大きいということが書かれている。(←わたしなりの理解なので悪しからず)

 

ただ、本の内容もさることながら、糸井さんの文章の書き方に感動した。

糸井さんは「ほぼ日刊イトイ新聞」(https://www.1101.com/home.html)というブログを運営されており、ブロガーでもあるのだけれど、本の文章が読みやすいったらなかった。

  • スラスラ読める
  • 熱(体温)を感じる
  • 難しい内容や糸井さんが経験したことが具体的に理解できる

話し言葉で書かれている糸井さんの文章には、控えめに言って、完全に引き込まれた。

時にやさしく、時に鋭く。語り口だけでなく、物事を見る角度も違った。

 

わたし自身、ブログを始めて10カ月くらいだけれど、人一倍、自分らしいブログとは何かについて悩んできたし、自分なりの答えをもって、楽しく自由にブログをしてきたつもりだった。

文体でも十分悩んできたので、今では、満足のいく文体で書けていて、読み手にも伝わりやすい文章が書けていると思っていた。

でも、それがうぬぼれというか、まだまだ不十分だし、もっと素敵な文章を書く人がいるということに、本を読んで気づいたのである。

 

そこで思ったのは、伝えたいことを伝えるというのは神の業に近いものがあるということだった。

これには以下のような、3つの理由がある。

伝えたいことは何かが明確でないと、そもそも伝わらない

まず、伝えたいことは何かが明確でないと、そもそも伝わらないということ。

わたしが記事を書くときに一番悩むのは、ブログタイトルだ。

これって、伝えたいことが不明確なんじゃ・・・といつも悩みながらタイトルを決めている。

この記事だって、「伝えたいことを伝えるための方法」とか「伝えたいことが伝わらない理由」というようなタイトルにもできるわけだし、実際少しだけ迷った。

でも最後は直感で決めている。

いつもタイトルを決めるときにしているのは、記事を書かずに一言で言いたいことを言うとしたら?ということ。

そうしたら今回の場合は、このタイトルのようになった。

書き手が何を伝えたいのかわからないまま、追われるように書いたって、そりゃ伝わりませんよね。

伝えたい気持ちがなければ伝わらない、とも言えるかもしれない。

頭は宇宙のようなもので、伝えるには、グニャグニャと動く無限の考えや感情のほんの一部選び取って、つなげる必要がある

文章がうまい、下手とかいうことがよく言われるけれど、実はそれ以前に大きな問題があったのである。

それは、人の頭の中は、記事を書いているときでさえも、伝えたいことや記事作成作業の事ばかりを考えているわけではないということ。

少なくともわたしはそうなのだけれど、頭のどこかでは早く寝たいと思ってるかもしれないし、本読みたいと思っているかもしれない。

また、生理現象はとてつもなく大きな問題で、例えば「おしっこいきたい」はもう、感じ始めたらきりがないもので、時間とともに記事を書く集中力を奪っていくわけである。

こんな感じで、頭は宇宙のようなもので、実際その中にある考えや感情は無限にあって、しかもグニャグニャと動き続けている

この記事を書いているまさに今も、腰と手首が痛いと思いながら書いている。

そんな中で、伝えたいことを文章に起こしていくのは、ほぼ無限にある考えや感情のほんの一部を選び取ってつなげていく作業なわけで、宇宙に命を生んだ神の業に近いと思うのである。

だから、人のブログ、人が書いた記事にはどんなものであれ、敬意を払いたいと思うんですよね。

伝わるように表現する必要がある

最後はこれ。伝わるように表現する必要があるということ。

これはだれもが想像できることだと思うけれど、伝えたいことが明確で、頭の中でまとめたら、あとは外に出すということだ。

でもこれも、かなり奥が深い。

ここから先は、伝える手段とその使い方の話になるだけれど、伝えるためには文章、図表、動画などの手段がある。

わたしの場合は、ほぼ文章。でも、人によっては他の方が得意なこともあるだろうし、伝えたい内容によっては図表などを使った方がいい場合も多いとは思う。

内容に応じてベストな手段を見つけたら、あとはその使い方。

文章の話をさせてもらうと、ですます調、文語、口語などいろいろある。

文字の色、大きさ、太さ、改行もある。

ホント、奥が深い。

だからこそ、おもしろい。

 

どんな手段で、どのように伝えてもいい。

自分に合ったものがまだ見つかっておらず、ブログを書いていてしっくり来てない人がいたら、本を読んだり、他の人のブログを読んだりして、自分の好きなものを見つけるといいと思う。

最初はマネてみるところから。そこから「自分」を出していけばいいと思う。

伝えたいことを伝えるというのは神の業

最後に、伝えたいことを伝えるというのがとても奥深くて、おもしろいことだし、他の人が生み出したものに対する敬意を持とうよということを言いたい。

Twitterを見ていると、「発信せよ、発信せよ」と言われるし、発信至上主義のような雰囲気に疲れることが結構ある。

発信って、伝えたいことを伝えるということですよね?

これまで書いてきたように、そんなに簡単なことではないですよ。これは。

それに、ある意味、考え方によっては神秘的なことですからね。

 

糸井さんの書籍「インターネット的」を読むまで、「伝える」ということについてはそこまで考えることはなかった。

自分が気持ちのいい文章を書くことについては意識していたけれど、読み手の方にはあまり気持ちを向けていなかったのかもしれない(反省)。

 

一言に発信と言っても、「伝える」というのは、これほど多くの要素があり、奥深いもの。

自分のブログのPVとか、人の記事のこいつ気にくわねぇな、ということよりも先に、目の前に人の頭から出てきた文章があるということ自体、偶然に偶然が重なったすごいことだということに気づけたらおもしろみも増すでしょうし、敬意も払うものだと思うんです。

少しでいいので、「伝える」ということについて、考えてみてはいかがでしょうか?

 

ではまた!