めんおうブログ

国家公務員からラーメンベンチャーへ転職した、30代男性の経験と思いと挑戦。時々、本などのブログ

学校への携帯電話の持ち込みっていいの?ダメなの?

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先日、仕事から帰ってTwitterを見ていたら、こんなツイートがあった。

 

曲がりなりにも教育に携わった経験のある者として、ある種、血が騒ぐのを感じながら、なんだかおもしろそうだということで、ちょっとみてみた。

すると、以下のツイートがもとのようだった。

要は、学校に持ってきてもいいけど、使うときは場をわきまえろということで、そのルールとは、

  • 朝のSHR(ショートホームルーム?)の前にしまえ
  • 携帯を使うのは昼休みに必要な連絡くらいにしておけ
  • 授業や行事の最中は使うな

ということだ。

この写真の内容からは、携帯電話の持ち込みや使用を禁止するものではなく、むしろ、勉学に支障のない範囲で使用を許可したいという学校の方針がよくわかる。

持ち込み、使用を禁止する学校もある中で、この学校の姿勢はすばらしいし、教育を任された学校の意地が見られるものだと思う。

考えることなしに「全部禁止」とするのは、教育ではないでしょう?

ただ、このもとツイートを受けて、学校への携帯電話の持ち込み・使用の可否を含むいろいろな議論が展開されており、いろいろと思ったので、わたしの意見をまとめたい。

もとツイートに対するいろいろな意見

紹介したもとツイートには、いろいろな意見が寄せられていた。

全面禁止にすべき、学校がスマホタブレットを配布すべき、バレなきゃいい(そういう風にサバイバルするのが高校生だ)、昼休みだけでも許可が出ているだけでありがたいと思えなどなど。

わたしの意見は、これらとは違うところにあるので、以下に述べたい。

持ち込みも使用も可にすべき

結論から言うと、持ち込みも使用も可にすべきだ。

これ、当たり前ですよね。

携帯電話を携帯しなくてどうするの?ってことで。

だから、携帯して、必要の都度すぐに取り出して使えるよう、持ち込みも使用も可にすべきなのである。こんなに便利なツールをあえて使わないようにしておくなんて愚の骨頂だと思う。

ただ学校では、主に勉強をしなければいけないのであって、その主目的が達成できない状況になる(なった)と学校が判断したなら、携帯電話の持ち込み、使用に制限をかけたり、禁止したりしなければならなくなる。

勉強以外だって必要でしょ?それも含めて勉強でしょ?という質問や指摘はあるでしょう。それはもちろんだけれど、ウェイトが大きいのは学科でしょう。

というわけで、学科に問題がなければ、持ち込みも使用も可にすべきなのである。

不可にする(される)のは基本的に生徒側に問題があるが、そうでない場合もある

上に書いたように、学校への携帯電話の持ち込み、使用は可にすべきだ。しかも、いつでもどこでも、どのようにでも。それが携帯電話の存在理由なのだから。

それにもかかわらず、多くの学校で制限がかけられたり、禁止されているのは、勉強に支障が出るような使い方をしたがために(する可能性が高い)ので、学校が最低限しなければならない教育ができない状況になると判断されるからだ。

それは多くの場合、生徒側に問題があると考えられるけれど、勉強するように仕向けられなかった学校側にも問題がある。

勉強は、自らやるところに究極的なゴールがあるわけで、携帯電話を禁止するというのは、それをいとも簡単に放棄していることになる(学校側に教育者としての意地はないのか!?)。

また、本当に生徒と向き合って、持ち込み、使用を制限せざるを得ない状況の改善に取り組んだのか?ということ。

禁止というのは、学校、教師側と生徒側の信頼関係が築けていない状況なのではないだろうか。

信頼関係を築くことを諦め、禁止というルールで生徒を縛るというのは教育者としていかがなものかと思う。

携帯電話の持ち込み、使用を制限されたからといって、逆恨みしてはいけない

しかし、携帯電話の持ち込みや使用を制限されたからといって、「何だよこの学校、イケてねぇな、クソが」的な逆恨みはしてはいけない。

こういう判断を含めて、教育全般を教育委員会や学校に委任しているからだ。これが社会の仕組みであって、それを理解しなければいけない。

もし何か問題があるなら、正式に学校に抗議するか、指導される原因が自分たちにないかどうかを振り返る必要があるでしょう。

それでも若者は繰り返す、そして、繰り返しながら「大人」になっていく

学校が携帯電話の持ち込みや使用を制限したり、禁止したりしてもなんとかバレずにルールを破ろうとするのが若者だし、それでいいのだと思う。

よくないけど、それをルールに従わせようとし、指導するのが教育だし、そのルールがある理由を考えたり、自己正当化したりするのも広い意味での勉強だからだ。

これが学校にいる意味なのだろう。

学校は、何かしら若者(生徒)を縛ろうとする。

それでも若者は繰り返し、そして、繰り返しながら「大人」になっていくものなのである。

 

若者にとっての学校は、大人になると会社になることが多い。

大人になってまで「この会社はクソだ」的な恨み節を繰り返すのは、若かった頃にしっかり勉強せずに、学校を逆恨みし続けたからかもしれない。

最近、会社ディスをよく見るけれど、会社は組織として価値を提供して利益を出そうとするもの。

個人を大切にするのはもちろんだけれど、個人よりも組織を大切にするのはそれ以上に当たり前のことなのである。

だから、何のために会社にいるのか、会社の存在意義などをよく理解しておく必要があるのだ。

それに気づかずに、会社ディスをする人たちを見ると、「なんだかなぁ・・・これ、いつまで言い続けるんだろう」とモヤモヤした気持ちになる。

 

携帯電話の持ち込み等に関して展開される学校ディスと、界隈で繰り返される会社ディスが被って見えて仕方がない。