めんおうブログ

専業ライターを目指して闘うパラレルワーカーの日々と、よりよく生きるためのちょっとしたコツなど。

多くの人が有料〇〇を嫌う3つの理由

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先日有料note「雑記ブログで月1万円の収益を生むための教科書」を有料公開したところ、思った以上に多くの方に読んでいただけており、本当にありがたく思っています。

これからも加筆していくので、引き続きよろしくお願いします。

note.mu

 

今、Twitter界隈、ブロガー界隈には有料〇〇とその仲間であふれている。

わたしも今回有料noteに挑戦するまでは、Twitterのタイムラインに流れてくる有料〇〇の情報にうんざりしていたし、「なんで有料にするのかな」とある種のうさん臭さを感じていた。

 

本当にありがたいことに、わたしが当初思っていたよりも多くの方に読んでいただけているnoteだけれど、一定数の方からは反対意見もいただいた。

 

ではなぜ、人々は有料〇〇を嫌うのだろうか。

以前わたしも反対の立場だったので、それも踏まえ、この記事では「人々が有料〇〇を嫌う3つの理由」をまとめたい。

 

人は、得体のしれない未知のことを拒絶してしまうもの。この記事を読んでいただければ、そのストレスの原因がわかって、少しは有料〇〇に寛容になれると思う。

そもそもお金にケガレを感じる

よく聞く話だけれど、そもそも日本人はお金にケガレを感じるもの。

これは、「有料〇〇が気に喰わない」というのに限った話ではない。

例えば、

「収益狙ってブログやってます」

という人より、

「収益は求めてません。楽しむだけです」とか「楽しむのが第一で、その結果収益が出ればいいなと思ってます」

という人の方にさわやかさを感じると思う。

ちなみにわたしは、先日初めて有料noteを販売したけれど、きれいごとではなく、後者側の人間だ。

収益第一ならとっくに特化ブログに切り替えてます。笑

収益があればいいな、というくらいで好きなことを書ける雑記ブログが楽しいからやっているんですよね。

 

人がお金にケガレを感じる理由は、日本の歴史にあるそう。

 

 

が詳しいけれど、要するに以下の流れで日本人の「お金はケガレ体質」ができたと言われている。

  1. 江戸時代:士農工商は平等。ものつくりに従事する人々の地位が上がった→ものづくりは尊い
  2. 戦時中:「欲しがりません、勝つまでは」→質素倹約、貯蓄の奨励

※ちなみに、士農工商は今の教科書にはないそうです。

1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や上下関係は存在しないことが、実証的研究から明らかとなり[2]2000年代には「士農工商」の記述は、文部科学省検定済教科書から削除される様になった。これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、教科書から消された[1]

引用:士農工商 - Wikipedia

 

「欲しがりません勝つまでは」は、戦争に勝つのが財政的に厳しかった国が敷いた広告戦略だったけれど、その影響が国民の体質を作ってしまうまで影響するとは、という感じですよね。

もちろんわたしも、どうしてもお金にある種のケガレを感じてしまう日本人の一人です。

有料〇〇発表で、心の壁を感じる

そもそもお金にケガレを感じることがあってのことだけれど、

「有料〇〇やります!」

で心の壁を感じてしまう。

 

昨日まで楽しく何でも話していた友人が、急に「有料コンサルやるよ」と言ってきたら身構えてしまうだろう。

リアルでも付き合いのある仲のいい友人でさえそうなのだから、ネット上読みにいっているというだけのブロガーが急に有料〇〇の話をしたら、心の壁を感じて当然とも言える。

 

しかも、無料記事からの有料〇〇である。

無料のブログも有料化のための布石なのでは?と疑ってしまう人や、有料〇〇の紹介を受けて「突き放された感覚」をもってしまう人もいるのかもしれない。

プライベート空間を侵されたような感じがする

電気、ガス、水道に始まり、外食、家具、電化製品、出版、通信といった、企業が提供しているサービスはほとんどが有料であり、わたしたちは、それを当然のこととして受け入れている。

にもかかわらず、なぜ個人の有料〇〇を嫌うのか。

 

これは、

 

「個人の有料〇〇にプライベート空間を侵された感じがする」

 

ということだろう。

 

例えば、Twitterで情報収集をする人にとってみれば、有料〇〇情報は、フォローしているアカウントからの情報が多い。

フォローしていればタイムラインに、勝手にその広告的なツイートが入ってくるわけで、プライベート空間(この場合はタイムライン)を侵されたように感じるのである。

「割り込まれた感」とも言えるかもしれない。

 

これと比較すると、企業が提供するサービスは待ち受け的である。

サービスを求めている人が検索したり、買いに行ったりしたときに目にする広告には、「割り込まれた感」はないのである。

有料〇〇も要素のひとつとして愛されるブロガーでありたい

冒頭にも紹介したけれど、わたしは先日有料noteを公開した。

別の機会に、この経験から学んだことを記事にしようと思うけれど、本当に学ぶことが多かった。

 

そこで強く思ったのは、

 

「有料〇〇も要素のひとつとして愛されるブロガーでありたい」

 

ということだった。

 

わたしのネット上での活動は、ブログから始まり、読んでいただけるみなさんがあって続けられてきたことだと心からそう思っている。

だから、これからもブログを軸に、自分が書いていてワクワクし、読者さんにおもしろいと思ってもらえるものを書いていきたい。

ラーメン店に勤めている人のブログは読みたくない、という人はいないでしょう。

これと同じで有料〇〇も、わたしのブロガーとしての一つの要素に過ぎないのである。

 

ここまで、多くの人が有料〇〇を嫌う3つの理由と、ブロガーとしてのわたしの気持ちを書いてきた。

有料〇〇に対して寛容になっていただけていれればうれしい。

 

「いいと思ったら買う、いらないと思ったら買わない」という姿勢でいいし、有料〇〇は、その人の一つの要素でしかない。

それも含めてその人を好きでいられるか、ということだと思うのです。